文庫本「図解大づかみ第二次世界大戦」でも言及しているが、第2次世界大戦における敗因は、連合艦隊司令長官であった山本五十六海軍大将の戦略的失敗に帰せられる。
開戦直前、帝国陸海軍は西方すなわちインド洋周辺に軍事展開し、英国とインドの補給路を断つ戦略的合意をしていた。これは陸軍の戦略的天才、石原莞爾も認めた正しい判断であり、実行されていれば、英国のみならず結果的にソ連も中国も戦争を継続出来なくなった筈である。米国はユーラシア大陸に拠点を失うから侵攻が困難になる上に、英ソ中が脱落した戦争を一人で継続する動機がないので早期に講和に乗り出したであろう。
だが、山本長官はこの戦略的合意を無視し、連合艦隊の主力を東方すなわち南太平洋に置き西方展開を妨げたばかりか、レーダーを装備して待ち構える米海軍に日本の海軍航空隊さらには陸軍航空隊までも突撃させるという無謀な戦いを繰り返し、日本の航空戦力を壊滅させてしまった。
もっともあの戦争で日独伊3国同盟側が勝利していたら、どうなっていたか、を危惧する声はあろう。ところがこの危惧はまったく当たらない。例えばユダヤ人の運命だが、ナチスのそもそもの主張は「ユダヤ人をドイツから追い出してパレスチナに戻せ」だった。これはもともとパレスチナを管理していた英国が、パレスチナにユダヤ人国家を創ると公約して、ユダヤ資本ロスチャイルドから第1次世界大戦の戦費を借りた事実をなぞっており、無茶な主張ではなかったが、英国は例の如く「やらず、ぶったくり」で公約を実行しなかったのである。
従って、英国が早期にドイツと講和していれば、イスラエルの建国は5年以上早まり、ユダヤ人の虐殺も起こらなかった。またナチスの独裁体制の継続を危惧する声もあるが、ナチスはヒトラーのカリスマ支配の上に成り立っており、ヒトラーがいずれ死ねばワイマール体制に正常復帰しただろうことは、スペインがフランコ将軍の死後、何の混乱もなく民主化して今日に至っている事例を見れば明らかだろう。
更に言えば、ソ連のスターリン体制はもっと早くに亡くなっていただろうし、そうなれば中華人民共和国も北朝鮮も生まれなかった。こうしてみると日本はあの敗戦の負債を未だに背負わされている事がよく分かろう。負けて良かったなどと言うのは、負け惜しみにもならぬ愚論である。
軍事ジャーナリスト 鍛冶俊樹(かじとしき)
1957年広島県生まれ、1983年埼玉大学教養学部卒業後、航空自衛隊に幹部候補生として入隊、主に情報通信関係の将校として11年間勤務。1994年文筆活動に転換、翌年、第1回読売論壇新人賞受賞。2011年、メルマ!ガ オブ ザイヤー受賞。2012年、著書「国防の常識」第7章を抜粋した論文「文化防衛と文明の衝突」が第5回「真の近現代史観」懸賞論文に入賞。
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