菅直人による運動方針(もはや政策ではない)によれば、来年になれば、我が国の全原子力発電所が稼働停止する。つまり我が国の電力は、三十パーセント減少する。現在の我が国の復興の為には、国内経済に活力を取り戻さねばならず、その為には、電力が必要だ・・・よって、どうするのか!
「原子力発電所を早急に稼働させなければならない」
これが、責任ある識者ならきっぱりと指摘しなければならない我が国現在の状況下における「正論」ではないか。

暴走して、我が国を壊滅に近づけているのは、我が国の原子炉ではない。原子炉は制御されている。制御されていないのは、官邸にいる菅直人という左翼市民運動家と「放射能汚染を懸念する声」である。
ひょっとすると、この各所に針を刺してくる「放射能汚染を懸念する声」は、首相官邸と公邸もしくはここと連絡のある場所から発信されているのではないか。

真悟の時事通信 (平成23年8月9日号) を転載

反核市民運動の神輿に乗った菅直人

菅内閣の不支持率は30余パーセントで、支持率は、18ポイント、前回の調査より3ポイント支持が増えたという。何故未だに、あのカンを支持しているのが18ポイントもおるのか、と首をかしげた。

その時、京都大文字山の送り火で、大津波で倒れた陸前高田市の景勝地である「高田松原」の松を五山送り火の大文字で使う計画が取りやめになったというニュースがあった。
この松には、被災者が亡くなった家族への思いを書き込んでおり、京都市と主催者側がこの松に放射性物質が無いことを確認しているにもかかわらず、である。

それで、この松は京都に送られず、地元の陸前高田市で迎え火として燃やされたのだが、その炎を眺める多くの婦人の頬には涙が光って流れていた。
その迎え火となった炎を眺め、地震と津波で亡くなり、また何行方不明になっている肉親が帰ってきているように思えて涙されたのだろう。

津波で倒れた高田松原の松は、被災者の亡くなった肉親への思いが書かれている。その炎を被災者が眺めることができた。計画通りにその松が、京都で燃やされ、芸者を侍らしてビール片手に座敷で遊ぶ観光客に眺められるより、よっぽどよかった。
またそもそも、原点から離れて、五山の送り火をダシにして、観光客を待ちかまえて、女を侍らし酒を飲ませて高い金を取る京都の観光産業に被災地の高田松原の松が利用されずによかった。

とはいえ、この五山送り火は、もともと慰霊の宗教行事である。従って、この原点に戻って高田松原の松を大文字山の送り火にすると決まり、陸前高田市の被災者も、その松に肉親への思いを書き込んだのだろう。更にその松には、放射能の心配はない。それが何故、「放射能汚染を心配する声が寄せられた」だけで中止になったのであろうか。

思うに、菅内閣支持率3ポイント上昇と京都の高田松原の松の使用中止、そして八月の広島と長崎の原爆忌は連動している。我が国には、根強い放射能アレルギーとそれを利用した反核市民ネットワークがあり、この土壌に原水爆禁止運動、反原発運動が展開されてきた。そして、菅直人は、浜岡原発稼働停止要請以来、まさに自分が延命するための戦術としてこの反核市民運動に乗ったのである。

つまり、菅直人は、いま総理大臣ではなく、既に反核市民運動家になっているのだ。
時あたかも、福島第一原発事故処理が現在進行中、そこに広島・長崎の原爆忌が重なっている。市民運動家なら、これを支持を集め延命する絶好のバネとして使う。そして、使って効を奏した。
これが、菅内閣支持率3ポイント上昇の理由である。

さらに、我が国の朝野には、復興に必要な「今現在そしてここ数年のエネルギー」を如何にして確保するのかという断固とした責任論、責務の自覚の表明よりも、漠然とした将来への希望を表明することによって、結果的にこの反核市民運動の流れに迎合しようとする風潮がある。これが如何に馬鹿げているか。

適切かどうか分からないが例えれば、戦地に臨んだ軍司令官が、敵に勝つには航空機と軍艦が必要な現場において、「いずれは脱軍備、脱武力の国にしたい」と言っているようなものだ。前線で必至に戦っている部下に殺されかねない裏切り発言である。この例は極端ではない。被災地を見よ。現在の我が国は緊急事態なのだ。

然るに、今朝の産経新聞「正論」の次の論調を見られたし。
「原発依存は、確かに高度成長を支えたが、これからは再生可能エネルギーによる電力発電を国家戦略として強力に進め、原発の安全対策を抜本的に強化したうえで、徐々に依存を減らし、放射能汚染の危険や二酸化炭素排出の少ない国へと転換を図っていく。」

菅直人による運動方針(もはや政策ではない)によれば、来年になれば、我が国の全原子力発電所が稼働停止する。つまり我が国の電力は、三十パーセント減少する。現在の我が国の復興の為には、国内経済に活力を取り戻さねばならず、その為には、電力が必要だ・・・よって、どうするのか!
「原子力発電所を早急に稼働させなければならない」、
これが、責任ある識者ならきっぱりと指摘しなければならない我が国現在の状況下における「正論」ではないか。

更に言う。
指摘した本日の産経新聞「正論」には、ご丁寧にも「脱原発依存」と「二酸化炭素削減」という二つの目標が掲げられている。この第一の目標は、菅直人のもの、次の目標は、鳩山由紀夫のもの。

そこで言っておく、菅直人は、既に市民運動家であり、頭は総理大臣として機能しているはずもない。鳩山は、世界公認のルーピー。共に、「無責任」が歩いているような者達である。
何故、「正論」論者ともあろう者が、これらのただ軽佻浮薄な者の思いつきに今さら迎合するのか。

さて、ヨーロッパにおける「反核市民運動」の正体はソビエト崩壊後のクレムリン秘密文書によって分かった。
それは、ヨーロッパを核無防備にしておくためのソビエトの工作の結果であった。
我が国の原水爆禁止世界運動も、アメリカや西側の核実験を非難しても、ソビエトや中国の核実験を非難せず容認してきた。従って、これらもヨーロッパと同様、左翼運動に属するものである。
しかし、先に書いたように、これらの運動は我が国の放射アレルギーの土壌の上で為されているので非常に根強いものがある。さらに言うなら、我が国の左翼反核運動の実践者は巧妙にその本性を隠して国民を煽っている。

そして、その運動の巧妙さ根強さが現れた事態が、この度の京都五山の送り火での「放射能汚染を懸念する声」が寄せられただけで中止になった陸前高田市の松の使用取りやめである。
そこで、その「懸念する声」の正体であるが、その声は、京都の担当者に次のように言ったのではないか。

「その松を燃やして百パーセント安全だと保障できますか。
貴方の子供や孫を実験台にして安全と確認したのですか。
貴方は、京都市民を使って生体実験をするつもりですか」

私は、この「声」を創作しているのではない。
「この放射線量では、福島県飯舘村は安全だ」という、同村の村長、放射線治療専門の医学博士、そして私に寄せられた「放射能汚染を懸念する声」は、見事にコピーした如く同じだったのである。
明らかに、一部のプロ運動家がこの「懸念する声」を出しているのである。

この度彼らは、被災地の松の京都五山の送り火中止騒動で、「懸念する声」作戦の効果を確認した。
そして、もう一人、その効果を確認している者がいる。
それは、菅直人である。

暴走して、我が国を壊滅に近づけているのは、我が国の原子炉ではない。原子炉は制御されている。
制御されていないのは、官邸にいる菅直人という左翼市民運動家と「放射能汚染を懸念する声」である。

ひょっとすると、この各所に針を刺してくる「放射能汚染を懸念する声」は、首相官邸と公邸もしくはここと連絡のある場所から発信されているのではないか。

一九三五年、国際共産主義運動・コミンテルン第七回大会決議は、身分を隠してブルジョア組織の中に潜入することを指示した。そのコミンテルンの指示の通り身分を隠して左翼運動に入ったものが、福島第一原発事故を利用していよいよ反核と放射能汚染を懸念することをテコに我が国を弱体化させようとしている。
その御輿に乗る効果を確認しているのが、菅直人である。

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西村真悟の時事通信