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花岡信昭の「我々の国家はどこに向かっているのか」3月31日
を転載

大胆かつ斬新な復興策実現には政治に対する信頼が必要だ

(その後の事情で、子ども手当の成立など、事情が変化しているところがありますが、原文のまま掲載します)

 

出でよ、平成の後藤新平

「3・11東日本大震災」から20日たっても、福島第1原発は「深刻な事態」を脱していない。死者・行方不明者は2万7000人を超えた。

戦後最大の大惨事に対して、日本政治が有効に機能しているのかというと、なんともおぼつかない。救援から復興の段階を迎えようとしているとき、「平成の後藤新平」がどうしても必要だ。

1923年9月1日の関東大震災では死者・行方不明者が10万人を超え、東京は焼け野原になった。後藤新平内務相を総裁とする帝都復興院が発足したのは9月27日だから、1カ月足らずの段階であった。

今回の事態と引き比べれば、そろそろその段階に至ろうとしているのだが、政治の動きはきわめて鈍い。

後藤は「大風呂敷」といわれながらも、東京の大改造を目指した。昭和通りなどの例に見られるように、当時の感覚では考えられなかった規模の幹線道路をつくり、徹底した区画整理で近代的な首都を構築した。

そこにあったのは、大胆かつ斬新な発想と、優秀な人材の登用、無理を承知で実現させてしまう政治力であった。今回の一大復興戦略を考えるとき、学ぶべきことは多いはずだ。

自治体を越えた復興政策が求められている

「3・11」によって、東北の太平洋沿岸は大きな被害を受けた。被害総額は15兆円から26兆円と算定されているが、これには原発関連など含まれていないものもあるから、30兆円になるか50兆円になるか、現時点では何とも言えない。

阪神淡路大震災では被害額10兆円、3回にわけて総額4兆円近い補正予算を組んだ。今回はその2倍、3倍以上の規模になるのではないか。

町全体が大きく被災したところもある。阪神淡路大震災は兵庫県だけが対象だったが、関係する県は比較にならないほど多い。

となると、現在の自治体を基準に復興計画を構想するというレベルではすまなくなるかもしれない。自治体の境界線を超えた大改造が必要になるのではないか。

あるいは、道州制を先取りして、東北州ないし東東北州といった感覚で被災地を一体的に復興させるという発想が求められるかもしれない。

復興財源捻出のためには「4K政策」を捨てよ

その財源をどうするか。菅政権は新年度予算の成立で、国会対策としては一山越えたような雰囲気だが、そんな次元で安心してもらっていては困る。

民主党の売り物だった子ども手当は、共産党が「つなぎ法案」賛成に回ることで衆院再議決という手法によって継続するようだ。

なにやら、「3・11」復興策の次元との落差を感じるのだが、いま必要なのは、まったく規模の違う財源確保策だ。

民主党が掲げてきた4K政策(子ども手当、戸別所得補償、高校無償化、高速道路無料化)など、いわゆるばらまき施策はすべて棚上げとしなければならないだろう。これでも3-4兆円規模にしかならないが、政治的意味は大きい。

というのは、復興対応をめぐり、自民党や公明党などを巻き込んだ事実上の「大連立」体制を築くためには、民主党がまず譲歩すべきところは譲歩するというかたちを取らなければ、その一歩を踏み出せないからだ。

その意味で、政治的判断としては、共産党の協力で子ども手当継続に成功したとして、その選択がよかったのかどうか分からない。

いよいよ必要な消費税の大幅アップ

戦後の大復興に匹敵する国家的事業に乗り出そうとしているのである。ちまちまとした政治攻防の感覚では、とてもではないが取り組めるとは思えない。

国家予算をゼロベースから構築しなおす構えがないと、とうてい実現できない規模の話である。平成版ニューディールといっていいかもしれない。

当然ながら、消費税の大幅アップが必要だ。1%引き上げれば2・5兆円になる。これまでは年金など福祉政策に充てるとして引き上げ論が出ていたが、そこに復興予算としての性格が加わることになる。

あるいは、無利子非課税国債(利子はつけないが、相続税は免除)でタンス預金を引き出すといった方策も考えられる。あらゆる財源確保策を既成の概念を抜きにして検討していかなければ、巨額の復興財源をつくれるはずがない。

「人災」による犠牲者を増やすな

「3・11」後、政治の機能不全が一気に噴き出した。これだけの先進国になっていながら、いまだに避難している人たちのところに、ガソリン、食料、水、医薬品などの物資が十分に届けられないというのは、これこそ「想定外」のことだ。

自衛隊ヘリによる物資投下が許されていないとか、各国の支援物資のうち医薬品など国内で認可されていないものは運べないとか、いろいろな話が出回っている。

ここは「超法規」で臨むべき局面ではなかったか。復興対策も同じである。これまでの法的規制をいったん取り外して、政治が持つ本来の力によって実現させるというダイナミズムがなければ、取り組めるものではない。

前回コラムでも強調したが、巨大地震、巨大津波までは天災である。避難所に移ってから、医療も満足に受けられず死者が続出するというのは「人災」だ。

菅政権は国民の生命・財産を守るという国家の最大の責務を果たしているかどうかが問われているのだ、という厳粛な認識に立ってほしい。

風評被害拡大は政権の責任

原発事故は深刻な風評被害を招いた。暫定基準値の改定も検討されたが、このままいくらしい。たしかに、あとから基準値を上げたら政府への信頼感はさらに失墜する。

原発の内部や周辺での高い放射線値はたしかに人的被害に直結する。決死の覚悟で冷却作業に当たる東京電力やその関連会社の担当者、自衛隊、東京消防庁などの努力には頭が下がる。

だが、原発から離れた地点での計測値は、これまでのところ、ただちに健康被害をもたらすレベルには至っていない。それを暫定基準値によって、出荷規制、摂食規制などの措置を取ったものだから、風評被害が全国規模で広がった。

1か所で計測されたから、その県全体の出荷を停止させるというのは、いくらなんでもやりすぎだ。

風評被害は在日外国人の帰国ラッシュを生んだ。4月の新学期を迎えるが留学生の大半が戻ってこない大学が続出するはずだ。筆者の周辺でも大学院に合格して少なからぬ入学金を納付していながら、入学を取りやめた留学生がいるほどだ。

東京のスーパーやコンビニからペットボトルの水や、野菜、食パンなどが一斉に消えるというのは、まさにパニックが起きたことを意味する。

パニック状態から脱け出せない菅首相

菅政権の危機管理体制がなっていないことを示すものである。だいたいが菅首相自身がパニックに陥っているとしか思えない。

専門家を何人も内閣参与に起用し、参与は15人になった。対策本部が矢継ぎ早に発足した。緊急災害対策、原子力災害対策、被災者生活支援、電力供給緊急対策……などといった具合だ。

内閣には危機管理監という存在がいたはずなのだが、ほとんど前面に出てこない。菅首相はときおり、国民向けメッセージを出すものの、記者団とのやりとりは一切回避している。

本来は国家指導者の発言によって、国民は安心するものなのだが、首相メッセージにほとんど効果はない。

原発関連の情報は、枝野官房長官、東京電力、原子力安全保安院などからバラバラに出てくる。ときに「炉内の水の1000万倍の放射能を検出」という発表が計算ミスでしたといった話も出る。

大本営発表というのは現代にはそぐわないだろうが、こと原発関連となれば、官邸で一括して発表するといった工夫が必要なのかもしれない。官房長官のわきに専門家がいれば、それですむ話だ。

山積する問題解決に必要なのは「政治の信頼」

アメリカはスリーマイル事故以後、原発をつくれなくなった。日本の場合も今回の事故で原発建設が難しくなるのは間違いない。

現在、電力全体の30%を原発に頼っている日本だが、本来ならば、この比率を思い切り上げていく必要があった。温暖化対策としても重要な要素であるし、中東のオイルパワーに左右されない国際情勢に貢献していくことは、日本ができる平和戦略でもある。

太平洋岸にこれほど自動車などの電子部品工場が集中していたとは、大方の国民はこの災害によって初めて知ったのではないか。自動車は部品が一つ欠けても生産ラインがストップする。

これが国内ばかりではなく世界的規模で影響を与えている。生産再開を急がないと、海外メーカーへの部品供給が停止し、ほかの新興国などにシェアを奪われてしまう。

計画停電による操業ストップも生産を軌道に乗せることを妨げている。ここは日本経済を守るためにも、国民あげての節電対応が求められる局面だ。

計画停電は暖かくなれば一時中断できる見通しだが、夏場になると再び実施しなければならないという。そうなれば、夏の電力消費を押し上げる要因である「夏の高校野球」を秋にずらすなど、さまざまな対応が必要だ。

あらゆる問題を軌道に乗せていくためにも、必要なのは「政治の信頼」である。いま、そこが完全に欠けている。