山村明義の神代のブログ 2012-07-24 を転載

東北の人々が「反原発デモ」を喜ばない理由とは?

しばらくブログを東北取材などのためにお休みした。
東日本大震災100日後の東北地方は道路インフラなどの復旧はとりあえず進んでいるが、相変わらず状況はひどい。

とりわけ岩手県の陸前高田、宮城県の南三陸町などの復興はまだまだ時間がかかりそうだ。東北を訪れる度に、「日本人は何をしているのか」と叱咤激励されるような気持ちにさせられる。とりわけ東北の人は、全国で反原発のデモを起こしていることに否定的だ。

今回私は岩手、宮城県の30人ほどの人々と話をしてきたが、彼らに「反原発デモ」に否定的な理由はなぜかと聞くと、「反原発運動を起こしている暇があったら、東北の人たちに会って実際に話を聞いてもらいたいからだ」という。どんな話かと言えば、それは、「震災後によく”絆”と言っている日本人は、もっと一致団結して東北の人たちを支援し、励ましてもらえるものだ、と私たちは思っていた。いまの“市民”による反原発運動は、自分のこと、自分たちのことしか考えていないように私たちには思える。特に震災で何もやれなかった鳩山由紀夫のような人と一緒に、反原発デモを起こしていると聞けば、やっぱり、そのような運動は、自己中心的なものだと思えてしまうから」だというのだ。

もちろん、全員ではないが、東北の人は過度な反原発デモ運動を好まない。実際に東北では、あまり反原発デモは起きていないし、ガレキの処理一つを取っても全国で反対運動が起きているのを見て、非常に蔑んだ目で見ているのだ。生死の境目を分けた被災者にとっては、冷徹な目をもって、「ガレキの受け入れ反対や反原発デモ運動をやっているようでは、日本全体の何の本質的な問題も解決しない」ということが理解できるのだろう。

さて、現在の日本で解決すべきも本質的問題とは、原発の再稼働を止めることだけでは決して解決しないことは、このブログを読んでいる賢明な読者はよくご承知だろう。

一番重要なことは戦後GHQによって、日本人同士がバラバラになり、いざという時に一致団結できずに力が発揮できない体質に変化するように、激しい「洗脳」を受けている状態から、それを解いていくことだ。

例えば、滋賀県大津市で起きたいじめ問題である。
この問題の本質は、戦後教育の中では「誰もいじめを解決できないシステム」が存在するということだ。今回の問題では、いじめられた中学の生徒、いじめた側の生徒ら子供、その親たちや教師、あるいは教育長といった人たちは登場するが、一人だけ影も形も見えない人物が存在する。
それは、「教育委員長」という人間である。

このような教育における問題が起きたとき、いったい誰が責任を持つのかというと、それは文科省でも、校長を含めた教師でも、地方公共団体の長でもない。その自治体にいる教育委員会とその長である教育委員長なのである。
その教育委員長は、いまや日教組の意向を受けて表に姿を現さない存在になっている。それはGHQによる改革によってそうなってしまったからだ。教育問題は極めて自治的に解決すべき問題だとして、地方の教育委員会にその権限を集中させてしまったのだ。

だから、親が文句を言っても、教師が注意をしても、自治体の長が涙を流しながら対策を立てると言っても、基本的にいじめ問題はは何の解決もできない。地方の人が決めているはずの「空洞」の人物であるはずの教育委員長が存在するからだ。繰り返すが、そのシステムはGHQが作り上げてしまったから、それを有り難く戴かなければならない日本国民は、そのシステムを変えられないのだ。

平成17年から18年にかけて、安倍内閣は「教育改革」を行ったが、この教育委員会と教育委員長の問題は手つかずで終わった。GHQの教育改革の要諦とは、数万年続いてきた日本人らしさと日本の誇りなどまったく忘れ去り、教員は教員、親は親、子供は子供の自分のことだけを考えれば、それで済むという意図による改悪である。このからくりに気づかなければ、我々日本人はいつまでも同じような問題が起きて、そのたびに「誰が悪い」という話で踊らされることだろう。

改めてハッキリ言おう。
日本人よ、GHQによる6年7ヶ月の「日本改悪」の結果が、いま日本で起きているほとんどの問題の最大の原因である厳然たる事実を見つけだして欲しいのだ。

 
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