いつもながら、なにも特別なことを言っているわけではない。普通のことをいつものように言っているだけだが、なぜか説得力がある。何が大切か、その本質をついているようだ。

田母神俊雄公式ブログ 2011-07-18 を転載

放射能恐怖の克服は、大きな政治課題

福島原発の放射能騒ぎは留まるところを知らないようだ。この騒ぎにより福島県民はどれほど苦しめられているだろうか。先週また福島県南相馬市の農家が出荷した肉牛から最大で暫定基準値の6.4倍に当る3,200ベクレルの放射性セシウムを検出。同じ農家が出荷した別の肉牛も基準値を超えていて、一部はすでに消費されているとか。この件でいま福島県の肉牛出荷は全て止められており、肉牛農家は再び経営危機に陥ることになるだろう。

国の定める暫定基準値は、牛肉1kg当たり500ベクレルであるが、これは基準値レベルで汚染された食品を一年間毎日食べ続けても何の問題も起きない数値と言われており、しかも相当の安全係数が上乗せされており、絶対に国が責任を問われる事態にはならない数値なのだ。

7月12日(火)の産経新聞は、立命館大学の安斎育郎名誉教授(放射線防護学)の言葉を載せている。安斎教授は「1kg当たり500ベクレルの放射性セシウムが検出された肉を200g食べると、被曝線量は0.0016ミリシーベルトになる。今回最も数値が高い3,200ベクレルの牛肉で換算すると0.01ミリシーベルトだ。毎日食べている食事にはカリウム40という放射性物質が含まれており、人はカリウム40で年間0.2ミリシーベルト被曝している。0.01ミリシーベルトはこの1/20。何回か食べても放射線が目に見えて健康に影響するレベルではない」と話している。暫定基準値を決めている厚生労働省もまた、食肉の場合汚染された同じ牛を繰り返し食べ続けることは考えにくいため、「健康に影響を及ぼすことはない」と言っているそうだ。

それでもマスコミは大騒ぎして放射能の恐怖を煽り、国民生活は大混乱をきたしている。日本国民は、次第に放射能は少しでもあってはいけないという感覚に捕われていくことだろう。現実には自然界には放射性物質は存在し、我々は年間2.4ミリシーベルトの自然放射線を受けているのだ。胸部X線撮影では、0.1秒間に0.06ミリシーベルトの放射線を受けるのだ。我が国が決めている放射能の暫定基準値はそこまで厳しくしなくてもいいのではないかというほどの絶対に安全な基準値であるし、まして福島県の計画避難の暫定基準値「年間20ミリシーベルト」というのはとんでもない基準値であると思う。これは前にも言ったが、CTスキャン三回分だ。このために不必要な避難を強いられ、家や財産や家畜や作物を失い、命まで奪われている人がいる

「放射能被害さえ避ければいい」というのは政治ではない。

水1L中に300ベクレルが水の放射能汚染の暫定基準値であるが、我が国のいくつかの温泉では700ベクレル以上もの放射能を含む温泉水を何十年も飲み続けている人たちがいる。全国のラドン温泉やラジウム温泉などは、国民がカネをかけて放射能を浴びに行くのだ。これらの人たちが放射能障害を受けたとかいう話は聞いたことがない。日本国民の放射能に対する潔癖性を考えれば、暫定基準値を見直してもっと現実的なものにする必要があるのではないか。焼却灰や校庭の砂の暫定基準なども厳しすぎるのではないかと思う。誰も絶対に責任を取らなくていいという暫定基準値がいま国民生活を混乱させているのだ。

福島原発の放射能漏れで放射能障害を受けた人は現在まで一人もいない。「30年後、50年後が心配だ!」などの意見を拝見するが、それでは広島や長崎の原爆はどうだったのか。当時は放射能に関する知識もなかったから、広島でも長崎でも原爆破裂直後に町に入り肉親の捜索等に行動している人は多かった。一週間もすると相当多くの人たちが広島市や長崎市で普通に生活を始めていたのだ。それらの人たちが癌になったのか、白血病になったのか。今回の福島原発の放射能漏れは広島や長崎に比べれば、放射能強度が1/10,000、1/100,000,000以下なのだ。子供が心配だという母親のコメントなどが繰り返しテレビ放映されるが、私の知り合いの放射線の専門家は、現状では全くその心配はないと言っている。

福島原発上空を飛ぶカモメやカラスは放射能で死んだのか。虫は飛んでいないのか。原発周辺の海岸では魚の死骸が山ほど浮かんできたのか。福島の牛は、暫定基準値以上に汚染されていたというが、それでも元気に生きていたから気付かずに出荷されたのではないか。その元気な牛を食べた人が元気を失うことがあるのか。私はこれを機会に、牛肉や魚や作物を動物に食べさせたりして実験をしたらいいと思う。放射能の安全値の限界を確かめるような実験を何故我が国政府は考えないのだろうか。福島県知事は200万県民の健康調査を向こう30年に渡って実施するそうだが、それだけでは福島県が危険だという風評被害をばら撒くだけで、将来の福島県の発展は望めない。

政治の仕事は放射能被害を避けることではない。国民生活を守ることなのだ。放射能の恐怖を煽り原発を停止すれば、我が国経済はどんどん衰退するであろう。さらに将来的に我が国が核武装することが出来なくなれば、我が国は永遠に世界の一流国にはなれないであろう。よその国に決めてもらって、決められたお金を供出し、決められたとおり行動するだけの国になる。我が国は今政府が先頭に立って、放射能の恐怖を煽り、わが国のぶち壊しをしているとしか思えない。二年ほど前に新型インフルエンザで何千万人もの人が死ぬかもしれないと大騒ぎになったことがある。私はテレビの収録で「人が一人も死んでいないのに、何故これほど大騒ぎをするのか。放っておいてもそのうち収まる」と言ったが、総スカンのような状況であった。番組は録画で放送されたが、もちろん私の発言はカットされていた。しかし私の言った通りいつの間にか収まってしまった。いまの放射能騒ぎも新型インフルエンザの騒ぎと同程度のものだと私は思っている。

これまで我が国は自虐的な歴史認識に苦しめられてきた。そのために自分の国を自分で守る体制が出来ず、周辺諸国の顔色ばかりをうかがう政治になってしまった。新たに放射能の恐怖により、我が国は再び自分の国を自分で守る体制から遠ざかろうとしている。いま我が国では放射能に対する不必要な恐怖を追い払うことが大きな政治課題である。放射能に対する認識は第二の歴史認識である。この認識がないと我が国は今後衰退の一途をたどることになるだろう。

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