鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
第73号(9月4日) を転載

中国、軍事クーデターか?

政府は尖閣の地権者と国有化で合意したと発表した。しかし合意したと報道されながら、実際に契約に至らない事例は枚挙に暇がない。従って一般的に慎重な交渉担当者は契約成立まで沈黙しているものだし、政府も当然そうした慎重な姿勢を取るのが普通だ。ところが日本政府は、都知事が反発するのを知りながら月内にも契約すると断言した。一体政府は何を焦っているのか?

この発表が「中国の習近平の主席就任が確実」とする報道と相前後したことに注目したい。つまり日本政府の発表と中国政府のこのリークは、何らかのバーター(条件交渉)を暗示する。もちろん、習近平の主席就任は一昨年から言われていたことだが、昨年末からこの就任を危ぶむ声が出始めた。
王立軍が逮捕され薄煕来失脚が噂され始めたからである。薄と習は軍部の支持を受けている。従って薄が失脚すれば、軍の発言権が弱まり習の主席就任も危うくなるという訳である。

ところが今年の始めから、北京発と思われる奇妙な噂が東京とワシントンに流された。「この10月の中国指導者の交代期は権力が空白となるから、中国軍は自由に行動できる。そこで尖閣に軍事侵攻する。」

これは明らかに軍部による中国政府つまり胡錦涛政権に対する脅迫である。つまり「習を主席に就けないというなら勝手に軍事行動を起こす」と脅しているのだ。これに対し温家宝首相が毛沢東主義の再来と批判し、権力闘争が本格化し薄は要職を解任され、それに反発するかのように尖閣侵攻の噂がワシントンで一層強く流布された。

都知事が尖閣購入をワシントンで発表したのもこの噂に触発されたものだ。結局中国政府は薄を逮捕せず、薄夫人は逮捕されたものの執行猶予となり事実上の無罪放免、そして今回の習主席就任確実のリーク報道である。つまり中国政府は軍部の圧力に屈したのだ。

ところが日本政府はこの動きが読めていなかったから、東京都による尖閣購入を阻止すれば中国軍は侵攻しない筈だと認識した。中国政府は習が軍部の要求通りに主席に就任すれば中国軍は尖閣侵攻しない筈だと認識した。中国軍が政府の制止も聞かず尖閣に侵攻することは一種の軍事クーデタであるから中国政府としても阻止したかったのである。

かくて日本政府と中国政府が同時に購入阻止と習就任という、ともに未確認情報を発表するという珍現象が現出した。つまりこの二つの情報はともに「中国軍が尖閣に侵攻しない」という保証として交換されたものだ。

だがもともと中国軍部が習近平の主席就任を要求したのは、軍の主張を通すためであり、軍の主張は常に軍事拡大主義に他ならない。そこには当然尖閣侵攻が含まれている筈で、尖閣侵攻を目論む軍部の要求に従って習近平を主席に就任させて、どうして尖閣侵攻を諦めさせることが出来ようか。

「日本の自衛隊は米軍の支援がなくとも中国軍を撃破できる実力を備えている」こんな情報が流れている。これは両軍の軍事力を客観的に分析すると必然的に出る結論で、軍事アナリストの間では常識である。

だがこの情報をこの時期に敢えて流しているのが、当の中国軍だという事実の方がもっと重要だ。というのも米国は「尖閣は日米安保の対象」と繰り返しているが、もし尖閣は自衛隊だけで十分守れるとなれば、「中国が尖閣に侵攻しても米軍をただちに介入させる必要はない」と考えるだろうからである。

これは中国にとって都合がいいだけでなく、米国にとっても大変都合のいい事態である。つまり中国軍が尖閣を占領し、自衛隊が奪還すべく動員され尖閣周辺で日中両軍が睨み合う事態において、米軍が日本を支援しないですめば、米国は日中の仲介役を果たせるのである。

おそらくこの緊迫した事態においては、日中両政府は米国の提示するどんな仲介条件も飲むだろう。まさに米国は一兵も傷付けることなく漁夫の利が得られるのである。尖閣諸島には魚釣り島という名があるが、なるほど米国にとっても格好の魚釣り場となりそうである。


軍事ジャーナリスト 鍛冶俊樹(かじとしき)
1957年広島県生まれ、1983年埼玉大学教養学部卒業後、航空自衛隊に幹部候補生として入隊、主に情報通信関係の将校として11年間勤務。1994年文筆活動に転換、翌年、論文「日本の安全保障の現在と未来」が第1回読売論壇新人賞佳作入選。現在、日経ビジネス・オンライン、日本文化チャンネル桜等、幅広く活動。

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