山村明義の神代のブログ 2012-08-11 を転載

震災とGHQ

昨年、「千年に一度」と呼ばれる災害が襲った東日本大震災と、戦後GHQの政治思想や行政思想の影響について述べてみたい。

今回の災害当時、被災者の救助や支援などで、数々の規制がその障害になったことは記憶に新しい。地震・津波・原発事故の「三重苦」の災害が起きた福島県では、被災者が逃げまどう生死の境のさなかにいる時、緊急避難用のガソリンを届けるのに、自衛隊の輸送車を使用できず、玄葉光一郎外相が「タンクロータリーを派遣せよ」という指令を運輸省に出した。さらに岩手県陸前高田市では、逆に運輸省の官僚が、「自衛隊にガソリンのノズルに触らせるな」という命令が届いた、などという信じられない出来事が起きた。

また、陸前高田市の戸羽太市長によると、食糧供給のために必要な緊急のプレハブのスーパー開設のために、農地振興地域に建てられていた量販店の跡地を使おうとすると、「農地転用には時間がかかる。どうしても店を作りたいなら、補助金で整備した農業振興地域のお金を返還せよ」と農水省の担当者から言われた、という言語道断の経過があった。何より東北地方のその後の復興の遅れは、日本人なら誰でも知っている周知の事実であろう。

基本的に「縦割り行政」といわれるこのシステムは、戦時中から海軍と陸軍の間にも存在したといわれるが、基本的に日本が「緊急時に対処した法律体系が出来ていない」という事実が大きく影響している

日本国内では例えば、非常時に総理大臣の下に安全保障会議を開き、憲法に準じるような上位法を措くという法律概念や、縦割りを無視し、すべての権限を防衛省に集めるという機能がまったくない。また、財政的にも非常時のために即座に大幅な予算を組み、復興に自由に使えるようなシステムもない。

大正12年に起きた関東大震災の際には、後藤新平が中心になり、復興計画案「帝都復興の議」が震災からわずか5日後に作成された。後藤は当時、即座に8億円の巨額の予算を使い、罹災地を国が公債で購入できるシステムを作り、復興委員会から復興院を即座に設置。東京を「高度な自治」が行える国際都市構想を作り上げ、凄まじいスピードで復興を達成させたのだ。

ところが、今回の震災対応で民主党政権は、今年の第二次補正予算までに何と約6兆円の予算を余らせ、全体の支援をとりまとめる復興庁を作るまで11ヶ月を要した。また、驚くべきことに復興計画そのものを各自治体に任せる方法を取ったため、全体の「復興計画」がいまだに出来ていないのだ。

このブログを読まれている皆さんには、もうおわかりだと思うが、今回の未曾有の震災とその復興計画の遅れにも、GHQの「日本人劣化プログラム」が大きく影響している。つまり、戦後の日本及びに日本人は、GHQの「民主化改革」によってプログラミングされているため、自らの自立した精神と政治行政システムで、緊急事態に対応できないように仕組まれてしまっているわけだ。

災害時の省庁間の縦割り問題にしても、そのほとんどは、戦後憲法の「国民主権」の条文により、住民や市民の「民主的なプロセス」を大義名分とされるために、それぞれの省庁が有する「権利」と「権限」をそれぞれ主張し合うことから起こるものだ。GHQが日本を占領する以前なら、日本人同士が困っている時にそのような「権利」を訴えようものなら、国からも国民からも激しく指弾を受け、処罰されていたであろう。

日本人よ、もうそろそろ気づくべきだ。
戦後のGHQの「改革」とは、日本人が歴史伝統的に持っている美しい”相互扶助”と公共のための精神性を壊してしまい、いざというときに勇敢で機敏に復興に動けなくするために、「臆病者」と「傲慢な人間」を作るよう仕組まれたあくまで「改悪」なのだ。

実際に後藤新平ら明治・大正の政治家たちが80年前には日本人が易々と出来たことが、いまの日本人たちにはなぜ出来ないのか。
この「千年に一度」の未曾有の災害の教訓とは、日本の戦後政治システムが機能しなかっただけでなく、日本人を劣化させる意図が戦後行われてきたからこそ起こった現象であることを、我々はもう一度洗脳から解き放って考えるべき時期に来ているのである。

 
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