日本人総劣化プログラム2 -政治編-
「日本弱体化プログラム」は、日本の政治の世界においても存在する。
わかりやすいように、「なぜ小沢一郎はゾンビのように復活してくるのか」という最新のテーマを上げよう。周知のように、6月26日の衆院本会議で、小沢一郎グループは、57名の社会保障・消費税一体改革法案への反対議員を出し、再び日本の政治に敵対構造を作り上げるという「造反劇」を成功させた。これは93年の自民党分裂ー新生党結成以来、小沢氏が何度も成功させた手法である。
だが、今回の政局があくまで国民に歓迎されていたということではないだろう。昨年、東日本大震災が起き、いつまでも分裂状態に陥り、内輪揉めをしている余裕などいまの日本には絶対にないはずだからである。日本においてなぜこのような「造反劇」が繰り返し何とかの一つ覚えのように成功するのか。それは、戦後GHQの占領政策によって、「敵対構造」を作ること自体が奨励されたからだ。
戦後日本の政治の理念は、マッカーサーが作った憲法の基本理念である「主権在民」という国民に責任を負わせるシステムにすれば、「君主」や「元首」が国民となり、国民の良識に基づいて政治を行えば、理想的な政治が実現されるーというものだった。
これはその基本的理念に、「戦前の統治機構の性悪説」があった。実際に60年代まで政治学において絶大な影響を与えていた丸山真男を筆頭とする政治的な「左翼リベラリズム」の原型は、すべて戦後のGHQによって作られた日本に合わない「大衆性善説型の民主政治」であった。
戦後の最終的な結論として、なぜ「左翼リベラリズム」の政治は日本に合わなかったかと言えるのかというと、「丸山政治学」の集大成こそが「現在の民主党政権」の姿そのものだったからである。彼らの「左翼リベラリズム」による政治は、本来は民主主義の決定過程である政治のプロセスを重視し、国民は少なくとも等しく平等な権利を享受できるはずだったがゆえに、その思想をまとめる「綱領」というものが作れず、党内で大混乱をきたした。また、日本の政治を含めた権力機構に対して「民衆」がどんなテーマでも「批判」と「敵対」が可能になる「階級闘争史観」が伏線に敷かれていたのだ。
鳩山内閣や菅内閣は、まさにその「階級闘争史観」と「国民による平等な権利を享受する政治」と「プロセス重視型の政治」が3つ同時並行して行われていた。そのの証拠に、時代遅れの「天皇・皇室批判」「自衛隊蔑視」など旧権力への批判が平気で行われていた。しかもフランスのリソーよろしく、自らが決めたはずの「国民(大衆)に対する契約」という概念で行われていたマニフェストは大失敗に終わった。
この背景にある思想は、フランスのルソーや社会修正主義といった「常に国民(大衆)は正しい」というリベラリズム的な大前提があるからこそ、成り立つ政治的定理であった。
ところが、ご承知のように、鳩山・菅政権は日本において政治史上希にみる失敗を犯した。日本の歴史や伝統・風土を知らず、国家や国益意識のないまま、政治の権力闘争を行い、その平等思想がゆえに、政治の求心力というものをまったく無くしてしまったからだ。
このような例は、GHQの占領下にあった昭和22年に組閣された戦後初の社会党内閣であった片山哲内閣ですでに見られていた。当時の片山内閣は、わずか8ヶ月で瓦解した。
その最大の原因は、いまの民主党とまったく同室の社会党内の派閥争いであり、リベラリズムの思想の違いによる分裂であった。このように、「左翼リベラリズム」が権力の統治機構を苦手とするのは、私から見ると三つの点がある。一つは、「平等政治を目指すがゆえに、政治の”中心”が無くなり、かえって不安定になる」ことである。もう一つは、「政策決定にウエイトを置きすぎて、それがうまく機能しなくなると、突然全体主義化する」という点。そしてもう一つは、マルクス主義の階級闘争史観が含まれているために、常に「反逆者」や「敵対構造」を生むことになるからだ。
いまの民主党がまさにこの状態なのだ。今回、小沢一郎という「敵対構造の悪魔製造機」のような人物によって、常に反逆され、そして最期には自らの内部に瓦解の萌芽を生む。その一方で組織の対抗策である、除名など「党の粛正」によるしかなく、そこでは全体主義構造に発展してしまうのだ。
この分裂の萌芽を植え付けたのが、誰であろう、戦後の日本人が感謝したGHQである。国民はもういい加減、彼らの日本を破壊するために作った「左翼リベラリズム型政治」は止め、「日本人による日本らしい日本型政治」を行った方がいい、ということに気づくべきである。