政治は日本のまつりごと 山村明義の神代のブログ を転載

原発事故対応を自己正当化した菅直人証言を
「真の日本人」はどう見るべきか?

 
28日に参議院議員会館で行われた菅直人前総理の原子力事故調査委員会を見てきた。

開会の午後2時、約300人の報道陣と100人以上の傍聴者が集まり、1階の大会議場は緊張に包まれていた。閉鎖された防音の部屋の中にいたため外の様子は一切わからなかったが、最初は晴れていた好天候が、菅直人の証言が始まると、にわかに曇りだし、やがて地面を叩くような豪雨が降り出した。誠に不可思議なことではあるが、菅直人の証言が渦中を迎えた午後3時頃から、全国的に異常な雷や雹など、季節外れの落下物が天から降ってきたのだ。

もう30年近く私は永田町を取材し続けているが、不思議なことに、政治の世界で何か良くないことが起こると、その時には必ずと言っていいほど信じられない天候不良が起きる。小渕恵三元総理の死去時には、凄まじい3本の雷が同時に永田町に落ちてきたし、加藤紘一氏が総理になる寸前まで行った「加藤の乱」では、まるで天が人間社会に憎しみを込めているかのような豪雨が突然、永田町を叩きつけ、その騒動が終わるまで雨が降り続いた。このような不慮の天候不良の原因を私は気象庁に問い合わせて調べ、専門家に聞いて直前の天気図を見たりして、その科学的な根拠を突き止めようとしたが、なぜか原因不明で、周辺は何ともないのに永田町だけが天候不良に襲われたことも少なくなかった。

そして平成21年、民主党政権が「政権交代」を果たした後も、初代の鳩山政権時には全国的な局地的豪雨や猛暑など、不吉な天候不良が続いた。その極めつけが、菅直人政権下の3・11の東日本大震災だった。戦後、経済合理性と科学的合理性のみに頼り切り、昔から持ち合わせてきたはずの自然への感性を麻痺させてきた日本人たちは、単にその出来事を「自然現象の偶然だろう」と考えるかもしれない。だが、私の経験則上、それこそはあくまで永田町の過去の歴史的事実を本当に知らない人間が言う「非科学的推測」なのである・

マスコミで報道されている通り、原子力調査委員会のメンバーの質問は、平成23年3月11日直後の福島第一原子力発電所の政府の事故対応と福島県での避難指示などに集中した。その証言内容では、菅直人自身が原子力事業者の東京電力や原子力保安院の「情報不足」に不信感を高め、15日朝に東電本社へ自ら乗り込んでいくという自らが「悲劇のヒーロー」になったかのような話が中心であった。菅直人は、委員から自分に責任があるような質問を向けられると、とたんに「この調査委員会でぜひ検証、調査してもらいたい」という言葉で言い逃れに終始し、自らの責任を決して認めようとはしなかった。テレビや新聞では見分けにくいが、現場では明らかに自己正当化を繰り返していたのだ。

菅直人は、原発事故対応の過程において、「その時(首相官邸では)目に見える情報やモノが何もなかった(から対応できなかった)」と表現していた。これは逆に言えば、常に現代の日本人は、「目に見えるものが何もないと、その出来事には不信感があるから、政治家が結果的に何も出来なくても、最終的には何の責任を取らなくて済む」のが今後の“常識”につながるであろう。

私が今回、菅直人の証言を聞いて最も痛切に感じたのは、「巡り合わせ」という言葉である。戦後GHQに洗脳され、「科学的合理性」を重視しすぎた日本人は、東日本大震災という最悪の時期に、菅直人のような人物を総理にするという「最悪の巡り合わせ」を迎えたことは間違いない。科学的論理と謙虚さのない強引な論法で相手をやり込め、自己正当化の手法だけが達者な「左翼政治家」が、日本の国政の指揮を執りだしたら、現実にこんな出来事が起きたのである。
これは果たして欧米社会が主張し、日本が信じてきた「民主主義のコスト」なのだろうか。決してそうではない。自然災害の多い日本では、やはり日本固有の「まつりごと」を行うことのできる政治家を選ぶシステムと、そのための卓越した人材が必要なのである。
最後に菅直人は自身の反省点の結論として、「原発依存を止めること」と述べていた。

しかし、彼の繰り返す詭弁術と自己正当化の論理を耳を澄ませて聞いていた私は、今回の福島原発事故における最大の政治的敗因は、「本来の日本に合わない政治家を指導者にすると、日本においては大変な問題が起きる」という自覚と、将来も起きるであろう目に見えない日本固有の大災害にも果敢に対応できる「日本型システムと歴史的鉄則の欠如」なのだと確信したのである。
 

リンク
政治は日本のまつりごと 山村明義の神代のブログ