河村市長の南京虐殺発言(2)
時局心話會代表山本 善心
南京大虐殺事件について、当時南京に駐留する外国人も日本人も誰も知らなかった。あとになって中国政府が捏造した事件と分かるようになる。
南京市と姉妹都市を結ぶ名古屋市の河村たかし市長が、「私も南京市に赴き、みなさまと討論をしたい」と提案。これに対して、中国側は「国際社会の定説で疑う余地はなく議論の余地もない」と一蹴した。
河村発言で中国側は、3月2日南京で行われる予定だった「日中友好柔道館」の開館二周年記念式典を中止すると名古屋市に通告してきた。南京市が「河村市長は南京大虐殺の事実を否定し南京人民の感情を著しく傷つけた」とのコメントを発表した。同日、中国政府は「南京大虐殺には動かぬ証拠がある」と表明。
問題の河村発言は、20日南京の党機関誌「南京日報」の一面にわずか280字のみ掲載した。それが翌21日にはインターネット上で「訪日団はこんな弱腰でいいのか」「河村氏は打ち首だ」と河村批判。本当のところは、これらの投稿は中国当局に不満を持つ若者が中心だとの見方もある。彼らの矛先は「本当に南京事件はあったのか」「当局は嘘を教えていないか」「南京大虐殺が嘘なら許さない」等々、河村批判から当局批判に向ける意見もある。中国人民から当局への批判はいつ爆発してもおかしくない状況だ。
中国政府に迎合する日本政府の弱腰
前号で述べたが、日本の政治・外交は「南京事件を肯定し中国人民の感情を傷つけてはならない」とする見解を示している。例えば藤村修官房長官は「非戦闘員(一般市民)の殺害、略奪行為は否定できない」と言い中国への弁護を怠らなかった。これは中国の歴史観に同調する「村山談話」の継承である。いま、中国側に忠誠を誓う外交姿勢が露骨になりつつある。
藤村氏のいう「非戦闘員への虐殺」があったとすれば、前号でも述べた「便衣兵」(平服を着た兵士)の処刑を指すものであろう。南京市は、城壁に囲まれており、いったん中に入ると外へ出ることができない。逃げ込んだ中国兵は、便衣兵として軍服を脱ぎ、平民服に着替えて銃器を隠し持ち市民や外国人に危害を加えるなど殺人鬼に変身する。日本軍は「便衣兵」掃討作戦を行い、「戦時国際法」違反の兵士として多くの「便衣兵」を処刑した。
しかし便衣兵は12月13日から3日間で大勢が処刑・殺害された。その後約4週間後南京人口はさらに増えて25万人とされている。中国外交の特徴は、嘘から始まり嘘で終わることであり、嘘を貫き通すことで最後は嘘がまかり通るとの戦術である。
1970年代後半に突如教科書に登場した南京大虐殺
最近の中国ネットでは必ずしも日本批判ばかりではない。わが国民を知る中国人は日本人の礼儀正しさや親切心を尊敬している。ましてや日本製品の技術の高さや完璧性、食品表示の安全性に対する信頼性も高い。日本の観光産業では北海道の大自然や古都京都はあこがれの観光地だ。どれをとってもわが国の高い文化と伝統、技術、道徳性は中国人の理想郷である。
そんな日本人が南京で理由もなく30万人も虐殺するなどありえないとの情報が中国人らに少しずつ浸透し始めている。この問題が表面化すれば中国政府が永年騙し続けてきた化けの皮が少しずつ剥がれていくのが恐い。南京事件が起こったとされるのは1937年であるが、敗戦後40年近く中国の歴史教科書に南京大虐殺の記述はなく、一般的な話題にもならなかった。それが1977年になって突然「新編中国史」に記述され1985年には「南京大虐殺記念館」が建設された。この建設費用は日本のODAから投入されている。わが国の政府外務省は中国を正当化するため物心両面に協力を惜しまなかった。
地方から始まる政治経済の大改革
河村発言以来、中国人の中にも南京事件は作り話との見方や意見がネットに出始めている。しかし、一方、我が国ネットでは河村発言に対して「歴史を知らない河村氏は市長失格だ」「歴史を勉強して30万人の冥福を祈れ」「歴史に対する冒涜だ」との意見もあった。その一方で、埼玉県の上田清司知事は2月27日の県議会で「なぜ人口20万人の南京市で45万、50万人の虐殺ができるのか。戦時中に出なかった話がなぜ最近になって突然出てきたのか」と疑問を呈した。
我が国の政治と経済の大改革は、地方から始まると筆者は常々期待していた。歴史認識の問題が地方の首長から指摘されたのは、間違った歴史観を再点検しようとの潜在的なマグマの蓄積が、爆発しつつある兆しではなかろうか。
わが国政府が他国の国益や、利害のための歴史観に妥協するのは国の魂を売り渡すも同然だ。日本の危機はわが民族の過去の歴史をすべて悪と断罪し他国に同調する従属姿勢にあると危惧せざるを得ない。中国によって作られた根拠なき歴史観を正しいと認める一部の政治家や役人らの軽率さが、日本国民の精神構造をずたずたに切り刻もうとしている。
全世界から絶賛された日本の南京統治
さて、国連の場で中国側代表が日本の戦闘機が南京上空から中国人民の家に空爆を行い、爆弾を落としたと抗議したことがある。そこには南京事件に対する発言はなかった。その後南京事件を事実であるかのように既成事実化したのは、日中間で合意したとされる対中外交に他ならない。つまり、南京事件はあったかなかったかより日中間政府の“あったとする”暗黙の了解を前提とする歴史観であった。
南京大虐殺の主犯者と目される指揮官がいるとすれば、松井石根将軍である。松井将軍は南京陥落にあたり軍人に対して南京統治を徹底し管理も厳しかった。
東京裁判で処刑された松井石根将軍が南京入城式の二週間後、下記のとおり、通達文を出している。
「南京デ日本軍ノ不法行為ガアルトノ噂ガアル。入城ノトキ注意シタゴトク日本軍ノ面目ノタメニ断ジテコノヨウナコトハアッテハナラヌ。コトニ朝香宮ガ司令官デアラレルカラ、イッソウ軍規風紀ヲ厳重ニシ、モシ不心得者ガアレバ厳重ニ処断シ、マタ被害者ニ対シテハ賠償マタハ現場変換ノ措置ヲ講ゼラレヨ」とある。これら松井将軍の南京統治は治安の徹底が評価されているが、世界各国のあらゆる著書で絶賛されている。
平行線を辿る日中歴史観協議
しかしながら松井将軍の努力も報われず東京裁判では中国人の証言が何の検証もされないまま問答無用で採決された。そして、この証言をもとに松井氏は戦犯として処刑されたのは前号で述べた通りだ。戦勝国による不公平な裁判とはいえ、松井将軍にとってはまったく寝耳に水のことであったに違いない。
南京事件を調べるほど、中国側はなんの資料も証拠もない。ただ嘘ばかりを言うのは「嘘も1千回繰り返せば本当になる」という「諺」を守り伝えている。中国側が南京事件の議論をする前に「日本人が虐殺を認めてから議論しなさい」というのは、議論にならない議論が前提になる。
中国人歴史研究家らは共産党政権の顔色を伺いながら、言葉を選ぶ。言うことは皆同じで「資料を研究・議論することではなく、日本側が過去の侵略を反省することだ」と繰り返すばかりだ。しかし事実も根拠もない侵略や虐殺に反省する馬鹿はいない。当時の資料を提示しても「そんな事実より、中国を侵略した事実を認めよ」では、中国学者は学者ではなく政治屋である。
歴史は日本民族が営々と築いてきた生きざまであり魂である
中国は歴史を政治問題の強力な手段と考えているので、歴史的事実の正否はどうでもよく、対日歴史観の捏造は正義の手段と考えている。共産主義者の殺害は正義の手段であって悪いことではない。南京事件は日本を支配下に置く手段として使う唯一の武器であった。
南京大虐殺は日本が侵略し、南京人民にたくさんの被害をもたらした犯罪であるというのは、中国が世界に向けて発信するプロパガンダだ。中国側の意図に乗せられて報道したり教科書、単行本を書いたわが国の知識人は、いかなる言い訳をしようとも、中国の歴史観に加担し宣伝に一役買った行為は売国奴であり、その罪は大きい。
毛沢東は周恩来の過去の歴史発言を重視した。周恩来の過去を断罪し、責め立てることで周を支配下に置いた。中国の手段とは、過去が悪であれば現在も悪であり未来は中国の支配下に置く奴隷となる。彼らが言う侵略戦争、靖国神社、南京事件等…中国政府は日本政府に対してこれまで中国発の歴史観を押しつけ威嚇してきた。中国側に従順に振る舞ってきた日本政府や外務省の顔を潰すような河村発言のインパクトは中国に対して大失点である。歴史に対する誇りは日本人の魂であり、日本再生の自主自立精神の始まりだ。我が国が危機を迎える最大要因は、国民と国のリーダーたちによる歴史観を失った教養の衰退に他ならない。
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時局心話會