鍛冶俊樹の軍事ジャーナル【8月30日号】 を転載

中国空母就航の衝撃

8月10日、中国海軍は旧ソ連製だった航空母艦ワリヤーグの試験航行に踏み切った。今後ワリヤーグは訓練や試験のための空母として運用されると中国軍は説明しているが、いずれにしても中国海軍が国産の空母を数隻就航させるための前段階である事は間違いなく、中国は明白に海洋大国への道を選択したのである。

地政学によれば世界の歴史は大陸国家と海洋国家の闘争の歴史であり、大陸国家が海洋進出を図れば海洋国家が海上貿易の利権を守るために、これに対して封じ込めを図る。大陸国家はしばしば海洋国家を兼ねようとするが、そこには困難が伴う。長大な陸上の国境の防衛に常に巨大な陸軍力を必要とする一方、海軍の育成には莫大な予算を長期間必要とする。結局戦略的重点が定まらなくなり財政的にも困難が生ずる事になる。

この地政学のテーゼの最も分かりやすい事例は20世紀初頭のドイツである。ドイツは英国が海洋国家であるのに対して明白に大陸国家である。そして19世紀後半からは世界有数の陸軍を有していた。そのドイツが経済成長を背景に19世紀末から海軍を育成し海洋進出を開始した。

これに脅威を感じた英国がドイツと戦争となり、そこに当時第2の海洋国家だった米国と第3の海洋国家だった日本が英国に加担し、世界中寄ってたかってドイツを袋叩きにしたのが第1次世界大戦だった。

中国が海洋進出に当たって頻りに例に出すのは明帝国である。明は14世紀から17世紀にシナ大陸を支配した漢人王朝だが、15世紀初頭には大艦隊をインド洋に派遣し、海洋進出を果たしている。かつて明が果たし如く中国も海洋進出の道を歩むのだと言う意思表明であろう。

だが明王朝の滅亡のプロセスを調べてみると、やはり地政学のテーゼが当てはまるのである。明の衰退の原因は南倭北虜と言われている。倭寇すなわち日本人などの海賊に南の海洋支配を脅かされ大陸北方からは騎馬民族のタタール人が侵入したのである。テーゼの示す通り大陸国家と海洋国家は兼ねえないのである。ちなみに倭寇は海賊と言われるが、明は自由貿易を禁じていたから、当時の海洋貿易は武力で明の弾圧を撥ね退けながら行わざるを得ず、日本人のみならずシナ人も多数参加していた。

無論、遠い昔の例を惹かずとも大陸国家が海洋進出しようとして崩壊してしまった例は目前にある。ソ連は1970年代後半、空母の建艦に乗り出したが世界第1の海軍国米国はこれを脅威と捉え、米国のみならず日本を含む西側諸国の軍事力の増強を図り封じ込めを強化した。ソ連は大陸中央のアフガニスタンに侵攻するも戦線が膠着し、最終的にソ連全体が崩壊してしまった。

あのワリヤーグという空母はソ連がそのとき、一生懸命作っていた空母で完成に至らずソ連が崩壊、スクラップ同然だったものを中国にこっそり売ったのだ。いわばソ連崩壊の象徴みたいなもので、思えば中国も不吉な船を海洋大国の出発点にしたものだ。

今回の中国空母の就航は米国、東南アジア、豪州、インド、韓国、日本に強い警戒感を与えた。一旦手にした海軍力を中国が無にすることは考えられず、もはや中国は引き返す事の出来ない道に入ったと言える。とすれば海洋国家群が対中包囲網に向けて動き出す事は間違いあるまい。

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