チュニジアを25年間統治してきたベンアリ政権に、日本政府は深く関与してきた。ただ闇雲に支援すればいいものではない。結果としてそれが多くの人々を苦しめていることを私たちは深く知るべきだ。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成23年(2011)1月18日(火曜日)通巻3196号を転載

チュニジア政変、続報

「ネット情報の嘘の犠牲になったチュニジア国民は偉大な指導者を失った」(カダフィ)
「あれは『ウィキリークス革命』ではない」(クローリィ米国務次官)

ベンアリ大統領がサウジアラビアへ逃げ出して、臨時政権らしきものがチュニスで組閣を発表する。野党から代表三名を閣僚に入れて当面の騒擾を治めるという。
ともかく北アフリカのチュニジアでおきた『ジャスミン革命』は「前日まで想像さえ出来ないことだった」(仏紙ルモンド)。

アルジェリアなどで連鎖のデモが発生している。フランスは前大統領一族の銀行口座の凍結を始めた模様。

この間に何が実際に起こったのか?
「大統領官邸での銃撃戦は16日に尾様り、アリ・セリアチ大統領警備局長、副局長以下数名が拘束された」(英紙ガーディアン、16日)。
「警護団の投降は13日すでにカシム内務省大臣が解任されていたことに遠因があり、ベンアリ大統領逃亡後、この内務大臣は逮捕された」(ウォールストリートジャーナル、17日)。

地中海に面したカルタゴの大統領宮殿でも大統領警護隊と派遣された軍とのあいだに激しい銃撃戦があったが、まもなく大統領警護隊は警察に投降した。
しかし「銃撃は首都チュニスにある野党(進歩民主党)本部近くで目撃され、戦車が出動している。各地には自警団が結成され、武装集団を警戒中」(フォックスニュース、16日付け)。

各地ではベンアリ大統領の肖像画が破られたり、引きはがされたりしている。サダムフセイン末期のイラクの情勢に似ている。

国外逃亡を企てたベンアリ大統領の義理の息子=アイメド・トラベルシは、チュニス飛行場で民衆に発見され、殴り殺された。
大統領一族経営と見られたショップ、自動車ディーラーなどは襲撃され、あるいは一般の店も略奪が発生したため、チュニスは戒厳令が敷かれたまま。

列車駅も閉鎖され、爆弾を持つ外国人の潜入を警戒、数名が拘束されたという。
港湾は閉鎖されているため、古い魚しか市場に出回っておらず(ちなみにチュニジアは漁業でも有名)、また赤ん坊の粉ミルクが払底している。

▼チュニジアのゆくえに楽観論、悲観論が交錯

北アフリカの反応は両極に揺れた。
エジプトの民主派メディアは「これぞ民主化の第一歩」と称賛する。
エジプトの批評家は「これは『人間の顔をしないグローバリズム』から『人間の顔をしたナショナリズム』への移行期」と比喩した(アルジャジーラ、17日。この比喩の意味は不明)。

リビアの独裁者=カダフィ大佐は嘆きの談話。
「前途にあるのは混沌だけだ。ベンアリは経済繁栄をもたらしたたぐいまれに指導者ではないか。ネット情報の嘘に惑わされて指導者を追放するなど、チュニジア国民はネットの嘘の犠牲となった」と吠えた。
ちなみにリビアはチュニジアの隣国。まっすぐに影響がおよぶ。

イスラエルは閣議でネタニヤフ首相が「連動してパレスチナに影響が出るかも知れないので警戒するように」との指示を出した。

▼日本の反応は鈍感。やはりドン菅だからか?

日本の反応?我が国のトップはチュニジアってどこにあるか知っている人は少ないんじゃありませんか?
それでも森嘉朗元総理が二回、町村衆議院議員が二回訪問した記録が目立つ。
日本はフランスにつぐチュニジア援助国であり、留学生も受け入れている。筆者がチュニジアを旅行した際は、日本語ぺらぺらのガイドだった。
暫定政権のムバザア大統領は三回の来日記録、ガンヌーシ首相は六回と知日派らしいが、それも援助の関係かも。

日本からの観光はカルタゴ遺跡とベンベル人の横穴住居が有名で、これまで治安が良かったため相当の観光客が訪れている。一晩で治安が真っ逆さまに不安になる国、日本ではちょっと考えられないことが世界ではおきるのだ。
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