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平成の強制連行
4月30日(土)に放射能被害で計画避難地域に指定されている、福島県飯館村を訪問した。これは予てから親交のある拓殖大学海外事情研究所教授で、特定失踪者問題調査会代表も務める荒木和博氏からの誘いにより実現したものである。この訪問には、前衆議院議員・西村真悟氏、青山学院大学教授・福井義高氏、拓殖大学海外事情研究所教授・荒木和博氏、東京大学医学博士・稲恭宏氏、ジェイアール東海エージェンシー常務取締役・窪田哲夫氏など13名が参加した。
このうち稲恭宏医学博士は、震災後何度も飯舘村を訪問している。稲博士は、飯館村に向かう途中のバスの中でずっと放射線強度を測定しながら村に接近したが、今回の放射線強度は10日ほど前に比べ、3割から4割低くなっていると言っていた。すでに飯舘村でも計画避難地域の基準になっている年間20ミリシーベルト、すなわち毎時2.28マイクロシーベルトを越える場所はほとんどなかった。飯舘村では、若干ではあるが放射線強度が高い細川牧場で30~40分ほど留まり、元気な牛たちを見ながら十二分に深呼吸し放射能を吸い込んだ。稲博士は「放射能は限りなくゼロに近いのがいいのではなく、自然放射線の数十倍から百倍くらいまでが健康にいい」と言っている。人は天然の放射能温泉に浸かりに行くが、放射線に当って健康になろうとしているのである。放射能泉も自然放射線の数倍から十数倍くらいの放射線強度を持っているそうである。
牛たちも、余り人を見ないので人なつっこくなっているのか、私たちの方に少しずつ寄って来るようであった。この十日間で生れたという子牛も数頭走り回っているのが見えた。この牛たちが殺処分になってしまうのかと思うと本当に可哀想だし、もったいない気がする。
我が国政府は、一度測定した20ミリシーベルトを基準に飯舘村を計画避難地域に指定しているが、その後の放射線強度の低下をどう考えているのだろうか。その後の低下を考えれば、家を追われ、財産を没収され、どこかに避難しなければならない人たちを出来るだけ減らすことをどうして考えないのだろうか。放射線の被害をゼロにしても、年寄りが住みなれた家を離れ、避難所で板の間に寝て骨折するとかいう被害も多いそうだ。結果として寝たきりになってしまう。放射能被害を避けるために、新たな病人を作り出しているようなものだ。そして避けようとしている放射能被害は、現実には生じないのだ。国際原子力機関IAEAが勧告している避難基準は、年間20~100ミリシーベルトの放射線を浴びる地域だが、我が国は最も厳しい20ミリシーベルトを採用している。これを中間の60ミリシーベルトを採用するだけでも、避難が必要な人はいなくなる。総理は総理と反対の意見を持つ稲博士のような人の意見も聞くべきではないのか。
この日は飯舘村村長の菅野典雄氏との面談の機会もあった。菅野村長は、村民を守るということを十二分に認識されている方であり、自らの保身などは彼の言葉からは露ほども感じることはなかった。菅野村長は、『政府は放射能被害を避けることだけを考えているが、家を追われ仕事もなく路頭に迷うことになるかもしれない村民の生活にどのように責任を持ってくれるのか』と言っていた。村にいれば死ぬことが確実であるのなら避難も止むを得ないかもしれないが、ガンになる確率はタバコの吸い過ぎより低いそうだ。菅野村長は村にやって来た福山官房副長官に対しても、避難の必要はないのではないかと意見を言ったが、福山氏は『菅総理はやり過ぎくらいやるのがいい』と言われているとの一点張りだったそうだ。放射線強度が徐々に下がっているのにもっと柔軟に対応できないのだろうか。避難指示が出る前にも村長に対しては、全く相談が無かったということである。総理の政治的パフォーマンスのために住みなれた村から全員が追放されてしまう。これは平成の強制連行ではないのか。
そう思っていたら、5月1日(日)に内閣官房参与の小佐古敏荘東大大学院教授が辞任するという報道があった。私はこの時、小佐古氏は避難基準が厳しすぎて避難させられる人たちが可哀想だと涙を流している、避難基準を20ミリシーベルトから100ミリシーベルトに上げるべきだと言っているのだと思った。ところが小佐古氏は小学校や幼稚園の基準をもっと厳しくすべきだと言っていたのだ。涙を流していることにも驚いたが、もっと多くの避難民を作れと言っているに等しい意見の持ち主が総理を取り囲んでいることにも驚いた。まさか小佐古氏の辞任は総理が頑張っているということを言いたいがためのヤラセではないと思うが。
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