鍛冶俊樹の軍事ジャーナル第100号 を転載

拉致救出のチャンス到来!

1994年2月段階で米国は核兵器開発を進める北朝鮮に対して空爆を決意し、日本政府に秘密裏に協力を要請した。ところが当時の細川総理は佐川急便事件というどうでもいいような事件を口実に突然辞任した。おそらくは戦争の恐怖に怯えて敵前逃亡したのである。

かくて連立政権は崩壊し総理官邸には政治家は誰もいなくなり、日本の協力を得られないと悟った米国政府はやむなく空爆を断念した。

同年10月、米国は北朝鮮に核兵器開発を停止する見返りに支援を約束した。これが第1次米朝合意である。北朝鮮が約束を守らないだろうことは、この時点で既に明らかだったから私は米国政府関係者に問い詰めたところ、彼は憤然としてこう答えた。「北の核開発を停止させるには空爆しかない。だが日本政府がそれをするなと言うのだ。合意以外にどうしろというのだ?」

翌95年、私は他数人とワシントンを訪問した。テーマはミサイル防衛計画である。つまり「日本が空爆に協力しない以上、北朝鮮からの核攻撃を耐え凌ぐしかないだろう」という米国からの提案である。
ところが、このとき偶然クロアチア人のグループと知り合いになった。話してみると彼らはフランス政府の紹介で米国防総省を訪れ、ユーゴスラビアを空爆するよう陳情していると言う。我々が日本から来た旨を説明すると、「じゃあお互いライバルだな」と言ってにやりと笑った。

彼は言った「今、米国政府はユーゴスラビアを空爆するか北朝鮮を空爆するかで迷っている。当然あんた達は北朝鮮を空爆するよう要請に来たんだろう」私は「クリントン政権の性格から見てどちらも空爆しないだろう」というと「見てろ、絶対にユーゴを空爆させてやる。それだけが自由への道だ」と息巻いた。

1999年、果たして米国を始めとするNATO軍はユーゴスラビアを空爆し、ユーゴスラビアは解体し東欧の民主化が促進された。私ははっきり言ってこのとき地団太を踏んだ。もし95年当時、日本が米国に北朝鮮を空爆するように粘り強く交渉していれば、米国はユーゴの代わりに北朝鮮を空爆したかもしれないのである。そうなれば北朝鮮は韓国に統一され、今頃は中国の民主化が促進されていただろう。

歴史にイフは禁物の筈だが、奇跡と言うべきかチャンスは再び巡って来た。米国が北朝鮮空爆の検討に入った事は確実だ。95年当時は拉致問題が明確になっていなかったから、空爆への協力を一旦断っておきながら翌年空爆を願い出るのは困難だった。

しかし拉致問題が明確になった現在、空爆の目的に核開発阻止だけでなく更に拉致救出を加える事は、国際世論に北朝鮮の民主化の必要性を訴える上で強い説得力を持つ。日本も作戦に協力のみならず直接参加する正当性を持つのである。このチャンスを逃してはならない。

チャンネル桜で現在の北朝鮮危機を論じている。参照されたい。


軍事ジャーナリスト 鍛冶俊樹(かじとしき)
1957年広島県生まれ、1983年埼玉大学教養学部卒業後、航空自衛隊に幹部候補生として入隊、主に情報通信関係の将校として11年間勤務。1994年文筆活動に転換、翌年、論文「日本の安全保障の現在と未来」が第1回読売論壇新人賞佳作入選。現在、日経ビジネス・オンライン、日本文化チャンネル桜等、幅広く活動。

リンク
メルマガ:鍛冶俊樹の軍事ジャーナル

<著 作>
新刊 国防の常識 (oneテーマ21)

[ 内容 ]
今、日本が直面している問題とは何か。
地政学や軍事はもちろん、国民、経済、情報、文化など、5つの視点からの防衛体制を、東日本大震災、尖閣問題、北朝鮮や中国、アメリカの動向を踏まえながら解説する必読書。

戦争の常識 (文春新書)
エシュロンと情報戦争 (文春新書)
総図解 よくわかる第二次世界大戦
写真とイラストで歴史の流れと人物・事件が一気に読める