鍛冶俊樹の軍事ジャーナル 第66号 を転載

野田政権、尖閣献上か?

東京都の尖閣購入計画に思わぬ横槍が入った。野田総理が国有化を表明したのである。石原都知事の発案をいわば横取りする格好だから、反発が出るのは当然だろう。「国民の受けを狙ったパーフォーマンス」つまり「選挙対策だ」という批判も出た。

もちろん国が購入して港湾の整備等、尖閣防衛を強化するのであれば、国有化は望ましいのだが、今までも借り受けておきながら何の整備もせず、中国を刺激しない様に日本人すら立ち入らせない状況を続けてきた政府が今更、中国を刺激するような整備に本気で乗り出すとも思えない。

恐らく国有化しても何の整備もせず、中国さまが怒り出さない様に日本人の島への接近を禁じて小康状態を保つというのが野田政権の真意であろう。実に臆病で腰の抜けた戦略であるが中国は既に国有化に反発しており、早くも野田総理の思惑は崩れた格好だ。

野田総理の戦略は結局、尖閣諸島を非武装緩衝地帯にすることになるが、現在間違いなく日本領であり日本が実効支配している土地をわざわざ帰属不明の地にして領土係争地にしてしまう愚策である。

そもそも東京都の尖閣購入を中止させれば、中国も挑発をやめるだろうという甘い期待をいだいているのなら、中国に対する認識不足も甚だしい。中国の尖閣奪取計画は石原都知事の尖閣購入計画発表よりはるかに以前に策定されたものである。

昨年10月、ヒラリー・クリントン国務長官が米国太平洋戦略を発表した。アジア太平洋重視の戦略と評されたが、その実、南太平洋、南アジア戦略というべき内容であった。つまり中国の海洋進出をインド洋、南シナ海で抑え込む算段だ。

中国はもはや東シナ海しか進出場所がない。もし東シナ海でも抑え込まれれば中国は海洋進出の出口を失い、大陸に封じ込められる。冷戦期における対ソ封じ込めと同様であり、やがてはソ連と同様の崩壊か、対米全面戦争の道しか残されていない。

11月にバリ島で開かれた東アジアサミットで中国は「南シナ海における国際法遵守」の宣言に署名した。米国の支援を得た東南アジア諸国の非難を浴びてやむなく署名したのだが、その直後、温家宝首相はオバマ大統領と突如個別会談に及んでいる。

会談内容は不明だが、おそらく温家宝は「この宣言に台湾問題は含まれるか?」を確認したであろう。台湾は南シナ海と東シナ海の境界に位置するから「含まれるかどうか?」は微妙な問題だが、「一つの中国の原則」を尊重して中台問題には干渉しない立場の米国としては「含まれない」と答える他なかったであろう。

台湾が含まれないとなれば当然東シナ海に同宣言は適用されない訳で、中国軍は東シナ海進出を米国に黙認させたことになる。これから2ヶ月も経たない今年1月に中国は突然「尖閣は中国の核心的利益」と主張し始めたのである。
3月には中国人民解放軍の羅援少将が「尖閣を軍事演習区域に指定せよ」と発言し、中国の調査船が尖閣の領海を侵犯し、中国の当局者が「日本の実効支配を打破する」と人民日報のインタビューに答えている。4月以降、中国海軍の東シナ海から南太平洋への進出の頻度が増している。都知事の尖閣購入計画が公表されたのはこの4月の事である。
7月初めには羅援少将は尖閣戦略を公表している。
YouTube:羅援少将:釣魚島をしっかり守るための六大戦略(鳳凰網)

将軍といえども軍事戦略を漏洩して許される筈はないから、羅援個人の意見である事になるが中国軍中枢部と対立するような意見を述べる自由も中国にはない以上、基本的な方向は一致していると見るべきだろう。

政府は国有化のメリットとして「東京都が購入するとなれば来年4月になるが、国なら今秋にも購入できる」と説明したが、私は「今秋」と聞いて愕然とした。中国の指導部は今秋に交代する。その権力の空白期間を狙って中国軍部は尖閣奪取の計画を実行するのではないかという情報を安全保障通の長島昭久議員(首相補佐官)が知らぬ筈がない。

中国軍が奪取に来る前に国有化して何のメリットがあるのか?予算を考えれば港湾工事に着手するのは来年4月以降にならざるを得ない。ならば都が購入するのとあまり変わらない。

もし政府にメリットがあるとすればただ一つしかない。尖閣が今秋、中国に軍事占領された場合、その地権者が民間人であったなら当然地権者は被害を申し立てるし大問題になる。民間人の寄付で都が購入契約を結んでいても同様だろう。
政府の所有となっていれば、どうであろう。被害を申し立てる民間人はいない筈だ。政府は国民から非難の矢面に立たされずにすみ、「中国政府に外務省を通じて強く抗議をしているところであります」と国会で答弁していればいいことになる。

要するに野田総理の尖閣購入計画とは、中国にすんなりと尖閣を譲渡するために国が仲買人になるという尖閣献上計画に他ならないのではないか?


軍事ジャーナリスト 鍛冶俊樹(かじとしき)
1957年広島県生まれ、1983年埼玉大学教養学部卒業後、航空自衛隊に幹部候補生として入隊、主に情報通信関係の将校として11年間勤務。1994年文筆活動に転換、翌年、論文「日本の安全保障の現在と未来」が第1回読売論壇新人賞佳作入選。現在、日経ビジネス・オンライン、日本文化チャンネル桜等、幅広く活動。

リンク
メルマガ:鍛冶俊樹の軍事ジャーナル

<著作>
戦争の常識 (文春新書)
エシュロンと情報戦争 (文春新書)
総図解 よくわかる第二次世界大戦―写真とイラストで歴史の流れと人物・事件が一気に読める