鍛冶俊樹の軍事ジャーナル  第62号(6月2日) を転載

日米中スパイ戦争、勃発!

中国スパイが発覚した。マスコミの一部には「中国人一等書記官は不正蓄財していただけでスパイではない」という弁護論?もあるようだが、スパイ防止法のない日本の実状を弁えない議論であろう。

日本ではスパイそのものを取り締まる法律がない。従って警察は虚偽申告とか不正登録などで摘発するしかない。いわば別件捜査である。不正蓄財する外交官など中国人に限らず山のようにいる。この中国人外交官が単に不正蓄財していただけなら、外交官特権を持っているので逮捕できないと始めから分かっている人間に何故わざわざ出頭要請したのか理由がわからなくなる。

この中国人がスパイだからこそ出頭要請をし、そうすればこの中国人外交官は帰国する事も分かり切っていた。つまりスパイを国外追放したのだ。それとも警察は、不正蓄財を捜査しようとして中国人に逃げられて「捜査は失敗だった」と今頃、地団太踏んでいるとでも言うのだろうか。

スパイの仕事は陰謀であり、陰謀は隠れてやるから陰謀なのであり、陰謀は陰謀を呼ぶから陰謀論が渦巻く事になる。警察が何故この時期に摘発に踏み切ったかについても憶測を呼ぶ。

報道されたのが、野田総理と小沢一郎氏の会談の前日だったこともあって、親中派である小沢に対する圧力とか、中国人が鹿野農水相ら農水族に近かった事もあって、TPP反対派への圧力材料になるという憶測も出た。
来週の内閣改造でTPP反対派は一掃され、18日のG20で野田総理が晴れてTPP参加をオバマ大統領に表明するという政治シナリオとの絡みも指摘される訳である。野田氏は総理になるに当たって、菅グループと密約を結び奇跡の逆転劇を演じて代表選を制した。陰謀好きは否定できまい。

だが総理の意向だけで警察が動く訳ではない。日本はスパイ防止法がない以上、基本的にスパイの摘発はできない。たまに摘発されるスパイ事件は米国CIAの意向を受けている場合が殆どだ。してみると今回も米国の意向を憶測せざるを得まい。TPP参加に日本を誘導するという意向だけでもないようだ。

実は今年の1月、中国でCIAのスパイが逮捕されたという情報がある。米国人ではなく、れっきとした中国人である。米国に留学中にCIAにハントされ帰国後は、何と中国の情報機関「国家安全省」に入り、逮捕時には次官の秘書だったという。

これが仮に事実だとしても、中国が公表しなければ、事件は闇から闇に葬られ米中間に何の問題も生じなかった筈である。だが5月に発売された香港の雑誌に記事が載った。月刊誌であるから、1カ月以上前には米CIAは記事が掲載される事を認識しただろう。
公表されれば、CIAにスパイとして採用されている他の中国人に動揺が走ることは明白である。今後の中国人採用にも間違いなく支障が出る。つまり記事の掲載はCIAにとって打撃を受ける事に他ならない。打撃を与えた中国の情報機関に当然報復しなければならない。相手に同様の損害を与えなければ情報戦争において一方的に敗北したことになる。

報復の手段としては米国内の中国スパイを摘発するのが筋だが、二つ問題がある。一つは米国内におけるスパイの摘発はFBIの仕事だから、CIAがFBIに貸しを作ることになる。もう一つは、FBIによる逮捕は秘密裏にはできないから、事が公になってしまう。つまりCIAの失敗が明らかになってしまう可能性がある。

そこで日本の警察を利用したと考えられる。中国政府は今回の事件で「スパイであること」を否定するしかないが、そうなると不正蓄財を認めなくてはならなくなる。熱心に情報工作に励んだ工作員が汚職官僚と同様の処断を受けるとなれば、工作員は動揺するし情報機関にとっては大打撃であろう。
CIAはまさに自らが受けた打撃と同様の打撃を中国情報機関に与える事に成功したのである。

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軍事ジャーナリスト 鍛冶俊樹(かじとしき)
1957年広島県生まれ、1983年埼玉大学教養学部卒業後、航空自衛隊に幹部候補生として入隊、主に情報通信関係の将校として11年間勤務。1994年文筆活動に転換、翌年、論文「日本の安全保障の現在と未来」が第1回読売論壇新人賞佳作入選。現在、日経ビジネス・オンライン、日本文化チャンネル桜等、幅広く活動。
<著作>
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