中国と戦う覚悟を決すれば、戦いは回避される。しかし、戦う覚悟を決めることができなければ、実際に中国と戦うことになる。
なぜなら、中国とは、戦う力の無いところ、戦う気の無いところ、戦う覚悟の無いところに戦いを仕掛けてくる国だからだ。

真悟の時事通信 平成23年8月1日号 を転載

戦の一字を恐れるな

この度の中国浙江省での高速鉄道列車事故の処理状況を見ていると、昭和六十三年(一九八八年)三月二十四日に上海郊外で起きた高知学芸高校修学旅行生と教員合計二十七名が死亡した上海列車事故と同じであると思い至る。
中国当局はこの度も、信号機の見落としが事故原因だといい、事故車両を直ちに現場で埋めるという訳の分からないことをしている。

これでは、事故の被害者の救助や事故原因の究明よりも、車両を高架から地面に落下させて破壊して埋めるために「救助隊」が重機を持って現場に急行したとしか考えられない。当局が発表した死亡者数は事故車両内の実態とはほど遠く、事故車両の中に人がいるのにそのまま解体して埋めたと言われている。

この事故と事後処理の推移は、中国共産党権力と中国社会の実態を世界に見せる現在進行中の「窓」であるから、よく注視されたい。我が国に対峙するのは、この詐術と策謀にたけた非情の権力なのである。

昭和六十三年三月二十四日の高知学芸高校上海列車事故の原因も、当局は機関士の信号見落としと主張し、その機関士の裁判は、初公判から判決の言い渡しまで一日で済ませた。

天安門事件前夜の中国社会の実態も知らず、直前に重大な列車事故が三件連続して発生しているのに、「日中友好」の中国ブームに乗って下見もせずに、高知学芸高校は修学旅行先を中国と決めて生徒達を送り出した。そして、上海郊外で今回の高速鉄道と同じ列車同士の正面衝突という形態の事故が起こった。
事故後の処理、つまり補償交渉は、不可解であった。

我が国の政府そしてマスコミ界に「対中迎合」という大きな得体の知れない固まりがあった。
それ故、高知に於いて事故原因の究明という当然の主張をする死亡生徒の両親は、我が国内の「日中友好派」によって敵視され無視されたのだ。

その最たるものが、NHKが放映した「国境を越えた和解」という「やらせ番組」であった。これは、和服を着た学芸高校側弁護士と上海鉄路局長が、漢詩を交換しあって和気藹々と「事態」を和解して終えるというものであった。
しかし、このNHKの「国境を越えた和解」が放映されていたとき、高知では無視され敵視もされるなかで、自分の娘、自分の息子が、どうして亡くなってしまったのか、何が原因で殺されたのか、荒野をさ迷うように探し求めている家族がいた。

この度の高速鉄道事故を眺め、改めてあの二十四年前の上海郊外の鉄道事故を思い起こし、それによって若き尊い命を落とした高知学芸高校生徒の御霊に追悼の祈りを捧げます。
同時に、彼ら高知の若き生徒達は、自分たちが上海郊外で遭遇した事故に対する中国当局の対応と日本国内の政府やマスコミ内に巣くう対中迎合勢力の卑しい動きを、身を以て既にあの時から、現在の我々に示してくれていたのを強く感じる。
よって、次に、中国の動向と我が国の対処について述べておきたい

まず第一に、この度の高速鉄道事故を起こした杜撰(ずさん)な技術力と事故に対する無茶苦茶な対処をしている中共が、一九八九年の天安門事件後二十二年間にわたって毎年国防費を二桁に増額し続けて核戦力、海空戦力を中心に軍備を増強して今に至っている。

その間、安い労働力を資源として経済を発展させてきた。つまり、中共は、低開発国として我が国から巨額のODA援助を貪るように受け取りながら、我が国を含む各国に失業を輸出して金を稼いできて「経済大国」になり、これから百基以上の原子力発電所を造るという。そして人民は、この度の高速列車事故でも明らかなように、言論の自由も封じられている。つまり人間扱いされていない。
まさに、我が国の近隣に、共産党独裁の巨大で歪な非人間的な国家ができあがっている。

しかしこの歪(いびつ)な国家を見くびってはならない。
内実は滅茶苦茶であるが、国家戦略は驚くほど一貫しているからである。その戦略は、武力を以てアジアを制覇し台湾を飲み込むということだ。その為には、アメリカがアジアに手出しできないようにすることが必要である。従って、中共は、巨大な核戦力と海空戦力を保有する軍事大国を目指してきた。

そして、核戦力に於いては大陸間核弾道ミサイル、中距離核弾道ミサイルそして短距離核弾頭ミサイル、即ち、対アメリカ、対日本そして対台湾へのミサイルを実戦配備した。そして、この度、空母の運用に乗り出してきた。
本日も、産経新聞が一面で、中国が魚釣島北北西六十一キロの我が国排他的経済水域EEZ内の海域で国際海洋法違反の調査を行っていると報じている。

しかし、これを一面で報じるならば、さらに一面に大書しなければならない中国海軍の行動がある。それは、昨年四月の、「東シナ海を友愛の海にする」というアホが総理大臣になっていたときから始まった中国海軍艦隊の東シナ海を横断して西太平洋沖ノ鳥島周辺への行動を既成事実化させようとする行動である。

中国のこの艦隊行動は、我が国朝野の関心が東日本の災害地に注がれている六月にも行われている。その際、潜水艦救難母艦も加わっていた。つまり、中国は、我が国を取り囲む東海域即ち西太平洋に、潜水艦を遊弋(ゆうよく)させようとしている。
そして、この西太平洋の海域を中国海軍の自由に任せれば、尖閣どころか奄美大島から台湾までの海域にある我が国領土領海は、本土から切断され「中国の海」に飲み込まれてしまう。

昨日、国を憂いながら二十歳の生涯を閉じた青年の三回忌の法要の席でお坊さんから質問を受けた。
「日本は中国と戦わねばならないのですか」と。
私は答えた。
「そうです。中国と戦う覚悟を決しなければ成りません。そうすれば、戦いは回避されます。しかし、戦う覚悟を決めることができないなら、実際に中国と戦うことになります。
なぜなら、中国とは、戦う力の無いところ、戦う気の無いところ、戦う覚悟の無いところに戦いを仕掛けてくる国だからです。南シナ海を観て下さい。ウイグル、チベットを観て下さい。
我々日本人は、戦う覚悟をして中国と戦う準備をするべきです。即ち、我が国は、核ミサイルを保有し、海軍空軍の戦力を一挙に増強しなければ成りません。」

では、菅内閣と民主党政権、さらにその前にのらりくらりと政権についていて民主党亡国内閣誕生の揺りかご役を果たした自民党が、中国共産党と戦う覚悟を決めて準備に入ることができるのか。
答えは明らか、できない。
その理由は、ともに戦後体制内、憲法九条体制内の集団だからである。

ここにおいて、戦後体制からの脱却が国家的課題となる理由があり、ここに、我が国家の存立がかかっている。
我が国は、完璧な核抑止力を保持し、空母機動部隊を持つべきだ。

かつて、西郷南洲が次のように語った。
「然るに、平日金穀理財のことを議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出ることに臨めば、頭を集め、唯目前の苟安(こうあん)を謀るのみ。
戦の一字を恐れ、政府の本務を墜としなば、商法支配所と申すものにて、更に政府には非ざる也。」(西郷南洲遺訓)
今こそ、西郷さんは、言っている。その声が、皆さんの心耳に、聞こえていると思う。

「戦の一字を恐れるな!」
(了)

西村真悟

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