「戦後復興は日本の中に満州国が再現した様なものだ」と言われる。戦後の日本が満州帝国に似ているのは実は経済面だけではない。岸信介は戦前、満州帝国の行政に深く関わり、戦後は総理として日米安保条約改定に功績を残したが、「戦後の日本は満州国と同じだ」と言ったという。満州帝国が日本軍に防衛を依存していたのと戦後日本が在日米軍に防衛を依存しているのと同じだという意味である。

鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
【8月1日号】 幻の満州帝国と関東軍を転載

7月24日に発売された歴史読本9月号は特集「関東軍全史満州事変80年」である。満州は現在、中国東北区に編入されているが、1945年まで満州帝国が存在していた。関東軍とはこの満州に駐屯していた日本の軍隊である。満州帝国はこの関東軍が画策した満州事変で生まれ、ソ連軍(ロシア軍)の侵攻により関東軍が壊滅すると同時に滅亡した。

つまり満州帝国は日本が造り大日本帝国滅亡と共に消えた訳だが、昨今、歴史学界などでは満州帝国が再評価されている。十数年足らずの幻の帝国であったが日本はその間、軍事のみならず行政や経済、文化、移民を含めて大量の人材や資材を投じており、1945年8月9日のソ連の侵入まで順調な経済発展を遂げていたのだ。

満州を防衛していた関東軍についても昨今、再評価の動きが出ている。1939年、満ソ国境付近でソ連軍と日本軍(関東軍)が戦闘状態となった。いわゆるノモンハン事件だが、戦後ながく日本悪玉説が大手を振るっていた。つまり関東軍がソ連側に侵攻しソ連軍に反撃され壊滅したのだと言い触らされてきた。

ところが1991年のソ連崩壊後、当時のソ連側の資料が公開されるにつれ、ソ連軍が圧倒的な兵力で侵攻してきたこと、日本軍は劣勢な戦力で善戦しソ連は手痛い反撃を受けたために侵攻を停止した事実が明らかになってきた。

関東軍といえば暴走する鬼っ子の代名詞のように言われてきたのであるが、こうした事情が明らかになるにつれ再評価の動きが出るのは当然であろう。

私はこの特集の中で「人員・装備・情報でみる関東軍とソ連の戦力比較」を書いている。純粋に軍事的な視点から日ソを比較考量したものだが、全般的な軍事状況を理解しやすい様に書いた。我田引水めくが、本号を手に取る機会があればまず拙論を呼んでいただくと全般的な状況が把握できると思う。

今回、関東軍について調べてつくづく思ったのは、現場である関東軍は懸命に努力しているのに、東京の統帥部の判断が常に間違っていた点である。現場はしっかりやっているのに中央は何している?という叫びはこの日本では今も昔も変わらない様だ。

満州帝国崩壊後、そこに投ぜられた人材は、血の滲むような思いで引き揚げてきた人達を含めて日本の経済復興に参画することになった。そのとき満州で培った経済発展の技術が役に立った事は言うまでもない。例えば新幹線は満州鉄道で働いていた日本人技師達の夢の再現であった。

「戦後復興は日本の中に満州国が再現した様なものだ」と言われるのはこのためであるが、戦後の日本が満州帝国に似ているのは実は経済面だけではない。岸信介は戦前、満州帝国の行政に深く関わり、戦後は総理として日米安保条約改定に功績を残したが、「戦後の日本は満州国と同じだ」と言ったという。満州帝国が日本軍に防衛を依存していたのと戦後日本が在日米軍に防衛を依存しているのと同じだという意味である。

だとすれば満州帝国が関東軍と運命を共にしたように戦後日本は在日米軍と運命を共にすることになる。満州帝国と関東軍の教訓は今なお有効なのである。

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