「菅おろし」本格化か
西岡参院議長が菅首相の能力に疑問を投げかけ、小沢一郎氏がこれに「感銘を受けた」と述べたという。
さあ、いよいよ民主党内の「菅おろし」が本格化しそうだ。
救国大連立をつくろうと思ったら、いま、菅首相が退陣表明すれば、すぐにもできる。政局はそういう状況だ。
「3・11」という未曽有の巨大災害、さらに深刻な原発事故。これに直面して、やはり菅首相は国家リーダーとしての振る舞いができていない。
親しい議員をばたばたと官邸に取り込んだり、学者らを次々に参与に登用したり、さらには、なにやら対策会議といったものばかりつくったり・・・そうした菅首相の行動は、すべて、これまでの危機管理体制がなっていなかったことを自ら証明しているようなものだ。
いま、政府は総力をあげてこの災害に立ち向かっているかのように見えるかもしれないが、本当のところをいってしまえば、そういう姿にはなっていない。
霞が関官僚群は、自分のところに関係することがらだけはそつなくこなしているが、菅政権を全面的に支えようという奇特な人はほとんどいないのではないか。
次の総選挙後、民主党政権はあり得ないことを官僚たちは見抜いている。いまの国難ともいえる状況を乗り切るのに、この首相ではとてもではないが無理だということも見抜いている。
だから、菅首相がいかに怒鳴りまくろうとも、国家の総力をあげて・・・という雰囲気など出てくるはずがない。
菅首相には申し訳ない言い方になるが、要は「器」の問題だ。
国家の非常時にあって、最高責任者はいかにあるべきか、その構えができていない。
西岡氏も小沢氏も政治経験の豊富さにおいて、菅首相をはるかに凌駕している。さすが、こういう局面でのものの言い方を心得ている。
そこで、この2人に勝るとも劣らない政治経歴の持ち主である渡部恒三氏の発言がほとんど伝わってこないのは、どういう理由か。
地元の福島で原発対応に追われているのだろうか。それとも、菅首相を支えてはきたが、やはりだめだったか、とものを言う気にもならなくなっているのだろうか。
「コンクリートから人へ」などという表現を、菅首相のようなタイプの政治家は好んで口にする。
これは真っ赤なウソであることも、今回の大惨事は立証してしまった。コンクリートがなければ人の命は救えないのだ。
「脱ダム宣言」などというのもあった。これから、日本は原発をつくりにくい時代を迎える。脱ダムどころの話ではない。
ダムを造りまくって電力確保に走らないと、経済も生活水準も失速する。
「生活が第一」というキャッチフレーズを掲げていたのはどこの政党だったか。
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