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花岡信昭の「我々の国家はどこに向かっているのか」2011年04月07 を転載

復興案策定前に大連立でもたつく政治の機能不全

戦後最大の国難を前に、政治は機能不全に

戦後最大の大惨事となった「3・11」から間もなく1カ月というのに、政治の機能不全状態が続いている。

福島第1原発の事故は依然として深刻な状況だ。被災地ではいまだに救援体制が確立していない。避難所に行ってからの死者は震災関連死と位置付けられるが、これは「人災」といって過言ではない。

先進国・日本にあって、この実態はいかにも異常だ。福島原発に国民の目が向いているから、その異常さが隠れてしまっている感があるが、巨大地震、巨大津波、原発事故という三重苦にあって全体を見通した司令塔が存在していない。

前回コラムでも触れたが、関東大震災(1923年)のさい、後藤新平率いる帝都復興院が発足したのは震災から1カ月弱の時点だった。ちょうどいまごろの段階だ。

首相官邸は原発から漏れる放射線の計測値に一喜一憂し、枝野官房長官はなにやら原発広報官と化した。すさまじいばかりの風評被害が広まっている実態になすすべもない。

東日本の太平洋岸が壊滅状態になったのだから、これは阪神大震災の比ではない。国家再生のイメージすら必要な一大復興ビジョンが求められている。

そういう国難ともいえる局面で、政治は何をやっているか。相変わらず「政局」の意識から抜け出せないままだ。

与野党のトップリーダーの胆力が問われている

この大震災がなかったら、いまごろ菅首相は進退問題の真っただ中に置かれていたはずだ。したがって、菅首相を批判する側からは、この首相のやることなすこと、すべてが延命策と映ってしまう。

一方で自民党はどうか。谷垣総裁は菅首相からの大連立の誘いに迷い、決断できないでいる。

ここまでくれば、政治家としての「胆力」の勝負ではないか。どういうかたちにしろ、与野党の攻防戦は一時休戦して、震災・原発対応に全力をあげなくてはならない局面なのだから、与野党のトップリーダーがハラを割って話し合い、飛び込むかどうかだ。

結論的にいえば、菅首相が退陣を覚悟すれば、大連立は明日にもできる。大くくりに言ってしまえば、共産、社民両党を除いた政治勢力のほとんどを糾合した大連立だ。

その場合、首相を自民党から出すことにすれば、話はさらに早くなる。一気にことが進むはずだ。

本格的連立を避ける「2段階論」が出回る

現状はそうはなっていない。菅首相側の思惑は、今後、巨額の補正予算を何段階も打ち出していいかなければならないときに、衆参ねじれの政治構造が壁になると見ている。菅首相にとっての大連立はねじれ克服策のイメージを出ないもののようだ。

だから「2段階論」などといった話が出回ることになる。大連立となると政策協定の議論などややこしいことになるから、その手前で、とりあえず、自民党から2人、公明党から1人の入閣を求めるという策だ。

復興担当相、沖縄北方担当相、環境相あたりがポストとしてあげられた。何のことはない。震災復興も普天間問題も地球温暖化対応も自民・公明閣僚にやってもらおうというムシのいい話だ。

閣僚を出すとなれば、これは連立には違いないのだが、いわれてきた大連立のような仰々しいところまで行く手前で救国体制を整えようということらしい。

これはちょっと政治の筋にはそぐわない話なのだが、これに自民党も乗りかかったらしい。そのため、谷垣総裁の入閣だと本格的大連立の印象を強めるから、大島副総裁、石破政調会長あたりの入閣ですませようといった話が出回った。

この種の話はひそかに進めなければ実現しない

この種の話は表に出たらだめだ。必ず反対する勢力が出る。「胆力」が必要だと前述したのはそのためで、トップリーダー同士がその立場と責任においてひそかに進め、表面化したときは決まっていたという形にしないとできるものではない。

虚実皮膜のなんとも微妙な次元で薄皮を一枚ずつはいでいくような周到さが必要だ。それも完璧な合意に達しようとしたら必ずつぶれる。互いにウソを承知で乗り切るべきところをポーンと飛んで見せないと、これだけのダイナミックな政治工作は実現しない。

オモテの話になってしまったから、自民党内には民主党が4K政策を転換させなければ大連立には乗れないといった建前論が出てくることになる。子ども手当、(農家への)戸別所得補償、高校無償化、高速道路無料化の4大政策だ。

これは民主党マニフェストの核心部分である。筆者なども、子ども手当などはっきりいえば天下の愚策だと思ってきたから、自民党の言い分も分からないではないが、復興大連立との重みを考えれば、いま、そこにかかわっていてすむのかということになる。

震災で吹き飛んだ「小沢問題」

4K政策の放棄というのは、政策的次元の話よりも、マニフェスト順守派である民主党の小沢一郎氏とその系列勢力を排除しようとする政局的次元のテーマになっている。それが生々しい政治の現実というものだ。

かつて、自民党内に「小沢抜きの民主党」となら組めるといった声があったことを思い出す。これもまた、ものごとの重みをどう測るかという話につながる。

民主党内の反小沢系は、菅政権誕生で天下を取った思いだったに違いない。「脱小沢」を曲がりなりにも貫くことが可能になったのだ。

だが、いま小沢氏をめぐる状況は一変した。「小沢問題」ははっきりいえば、巨大地震によってどこかに吹き飛んだのである。小沢氏が静かにしているのはそのためだ。

ここは司法にかかわることだから、うかつに論評できないところだが、強制起訴された小沢氏の公判開始をいつにすべきか、当事者たちは相当に思い悩んでいるに違いない。この大震災を前にしては、それどころではないというのが大方の認識だからだ。

衆参ねじれ構造を乗り越えてしまった「つなぎ法案」

菅首相が谷垣氏に大連立を打診して断わられ、その後、急速にこの路線への関心が薄れていったように見えるのは、別の事情もある。衆参ねじれ構造の微妙な変化である。

これは3月31日、子ども手当を現行のまま半年間延長する「つなぎ法案」が参院で可決成立したことが大きい。

菅首相は当初、衆院可決、参院否決、衆院で共産党の賛成により3分の2を得て再可決という手順を踏んでいた。

それが予想もしない事態となった。参院では、与党に加えて、共産、社民両党が賛成した。自民、公明、みんなの党などが反対したが、国民新党の亀井亜希子政調会長が郵政法案の取り扱いに抗議して採決時に退席、みんなの党の寺田典城氏(前秋田県知事)が党の方針に反して賛成した。

この結果、120票対120票の可否同数となり、西岡参院議長が可決を決裁したのである。衆参両院本会議で可否同数となって議長が決裁したのは、現憲法下で2例目という。

これによって、衆院に戻して再可決するという手法をとらなくてもすんだ。これは菅首相にとっては意外な展開だったに違いない。あれほど悩みのタネだった衆参ねじれを、ちょっとしたすれ違いで乗り越えてしまったのである。

西岡議長の真意は不明だが、おそらくは共産党の出番を封じたかったのではないか。参院で否決とし、衆院の再議決に持ち込んで共産党の助けを借りるとなると、共産党の存在が一気に重みを増す。その状況を作りたくはなかったのである。

菅首相のオプションとして共産、社民両党との連携が浮上

だが、この経緯から、法案によっては、野党である共産、社民両党の援護があり得るということがはっきりした。この両党にとっては、大連立構想をつぶすためには、こういう動き方もできるのだということを菅首相に明示したことになる。

菅首相は大連立への思いから離れて、そこに光明を見出したのかもしれない。ねじれ脱却というには、きわめて危うい構図なのだが、もともと左派に足場を置いていた菅首相だけに、共産、社民両党との連携に抵抗感は薄いはずだ。

一連の動きの中で、おっと思わせるものがあった。自民党の元幹事長、野中広務氏が離党届を提出していたという。野中氏は3月末、全国土地改良事業団体連合会の会長に3選された。このため、現政権との関係を良好なものにしておきたい思惑が働いたようだ。

復興の動きが具体化していくと、この団体の活躍の舞台も一気に増える。そのあたりの野中氏の判断はさすが百戦錬磨の政治家ならではといえる。

政治の世界が大連立の是非をめぐってもたついている間に、関連業界ではすでにこういう動きが出ているのだ。遅れているのは政治だけということになる。

花岡信昭の「我々の国家はどこに向かっているのか」