4月23日、李登輝元総統が講演の中で「第四原発」について発言し、その内容の一部が報道された。翌日、その報道によって国民に誤解をあたえないよう自らあらためて説明した。

講演の主旨は、「指導者は人民の声に耳を傾けるべきだ」というもので、そのなかで原子力発電所への対応を例にして解説した。福島の原発事故以来、台湾では建設中の第四原発について、「稼動すべき」か「廃止すべき」かという論争が過熱し、明確な方向性がいまだ定まっていないことを指摘したものだ。
「最終的な決定を人民に委ねるべきだ」とするが、まず政府がその判断材料として多くの情報を提供し、あらゆる施策を提示することを前提としている。つまり、問題を解決できない政府への提言だ。

翌日の声明の主旨は、「私の発言の真意を理解しようともせず、その一部分だけを取り上げて自分の主張のために利用するのであれば、その行為は結果的に人民の意思をねじ曲げることになり、非常に遺憾である」という言葉に集約されている。つまり、メディアによる印象操作への抗議だ。

〔日本李登輝友の会台北事務所〕 より転載

李登輝元総統が「第四原発に関する発言」について声明を発表

李登輝元台湾総統

昨日(4月23日)に台南で講演した際、私は原子力発電事故への対応を例に挙げ、指導者は人民の声に耳を傾けるべきだと述べた。

この講演に関する報道で、私の「(第四原発建設中止を訴えてハンストを始めた)林義雄氏の意見に同意する人がどれだけいるだろうか」「原子力発電を放棄した場合、それに代わる発電方法は何か」「原子力発電がなくなったら我々の生活に必要な電力はどう確保すればよいのか」といった発言が報じられたが、誤解を招かないよう、より明確な説明をしたいと思う。

福島で原発事故が発生して以後、世界中で原発の安全性についての再検討が進められたが、隣国である台湾では特に強烈な反応を引き起こした。

「第四原発」の建設を中止すべきか否か、人民が最も憂えているのは安全の問題であり、生命に対する脅威の問題である。

「無原発社会」は、林義雄氏がこれまで長らく主張してきたことであり、林氏が第四原発建設中止を求めてハンストすることを決定したのであれば、指導者たる者は人民の声に耳を傾け、人民がどのような意見を持っているか、多くの人民が林氏と同じような憂慮や主張を持っているかを聞くべきである。そして、第四原発の建設を中止するか否かは、人民が直接決定するよう委ねるべきである。

仮に、最終的に民意が第四原発建設中止を選んだのであれば、政府は思考を一歩進め「原子力発電を放棄した場合、それに代わる発電方法は何か」「原子力発電がなくなったら我々の生活に必要な電力はどう確保すればよいのか」などの課題について積極的に対応策を練らなければならない。

例えば、以前から私が提言している次のような方法が考えられる。

  1. 台湾電力の民営化を進め、六地域に分割することで営業コストを下げ、南北間の送電ロスを抑えて発電効率を上げる。
  2. 現在、台湾国内で20万ヘクタール以上ある休耕地を利用し、バイオエネルギーの原料を栽培する。

さらに、他の専門家が提案する太陽光、風力、水力、地熱などの代替エネルギー方式の利用や、再生エネルギーの発電比率を向上させると同時に、再生エネルギーの新技術研究への奨励政策を推し進め、エネルギー節約の広報を強化することで、これまでのエネルギー配分の構造改革を行わなければならない。

最後に、私の「原子力発電」に対する立場を明らかにしておきたい。
私は、危険度も汚染度も高いウラニウムを原料とした第四原発には反対だ。しかし、このウラニウムを使った方式が唯一の原子力発電の方式ではない。より安全で汚染度の低いトリウムを使った原子力発電方式の研究を考えるべきだ。

ここで私は強調しておきたい。
人民こそが国家の主人である。人民が第四原発の安全に対して憂慮しているのであれば、政府は民意に耳を傾け、最終的な決定を人民に委ねるべきだ。同時に、指導者は社会の各界とともに積極的にあらゆる解決法策を模索する義務がある。

以上のような内容こそが私の発言の真意である。私の発言の真意を理解しようともせず、その一部分だけを取り上げて自分の主張のために利用するのであれば、その行為は結果的に人民の意思をねじ曲げることになり、非常に遺憾である。

また、指導者が人民の声に耳を貸さず、耳障りのいい話ばかりを聞きたがるのであれば、民主政治にとって災難としかいいようがない。

李 登輝


<一谷光希の雑感>
民主主義とはいえそれぞれに異なる歴史や文化を経ており、価値観も創造も違えば地域紛争も絶えない。だがこのなかで李登輝元総統が発した、「最終的な決定を人民に委ねる」ために、まず政府がその判断材料として多くの情報を提供し、あらゆる施策を提示することを前提とするのは、台湾のみならず民主主義を掲げる国々が共有できる理念ではないか。