神武天皇即位の年を元年と定め、今年で皇紀2673年になります。この「紀元節」は、日本の歴史と日本人の暮らしの始まりを記念する日です。終戦後GHQによって一時廃止されたものの、日本が独立を回復した後に「建国記念の日」と改称して再び実施されています。
「建国記念の日」を「紀元節」として見つめなおすと、とても重要な意味をもつ祭日であることがわかります。
『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
平成25年(2013)2月17日 通巻第717号 より転載
日本とローマ、ふたつの紀元節
ヴィルピッタ・ロマノ先生の講演
2月11日の「建国記念の日」に東京・星陵会館で開かれた「紀元節奉祝式典」(主催 紀元節奉祝式典実行委員会 代表・藤本隆之氏)において「憂国忌」発起人でもあるヴルピッタ・ロマノ氏(京都産業大学名誉教授)が 「日本とローマ 二つの紀元節」 と題する記念講演を行いました。
その要旨は以下の通りでした。(同式典プログラムに掲載されたレジュメより引用)
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世界に類のない二つの紀元節は、紀元前660年の日本建国を祭る2月11日と、紀元前753年のローマ建国を祝ふ4月21日である。「紀元節」は建国を記念すると同時に、歴史の始まりも記念することで、他国の建国記念日よりもはるかに意味深い。
神武天皇の建国によって、国家と民族としての日本は誕生し、万世一系の天皇の系統は今日にいたるまで継続してゐる。反面、ローマの建国は一つの都市の誕生である。この都市からイタリア民族が誕生したが、ローマ帝国の崩壊とともにイタリアも滅亡し、国家として復活したのは1861年である。
敗戦の結果、両国とも紀元節は廃止された。日本では愛国者の運動によって「建国記念の日」として復活した。イタリアではローマの紀元節が廃止されたままで、若い世代からは忘れられてしまってゐる。「建国記念の日」と「紀元節」では意味が違ふ。紀元節は日本の誕生であると同時に、歴史の始まりであり、民族の源泉であり、くらしとしての日本文化の理念や万国調和としての八紘一宇の思想も包含する。
現在、日本は内憂外患の国家の危機に直面している。しかも、民族の意識そのものを脅かすグローバル化に脅かされてゐる。
人間を国民ではなく、消費者として見なすグローバル化の論理で、民族と国家は、世界の標準化を妨げる障害として、廃止しなければならない邪魔な存在とされてゐる。
最近、日本人は目覚めつつある兆候が表れてゐる。
今こそ、建国の精神を蘇らせる紀元節が大事である。その精神は、民族意識の防衛だけではなく、日本の文化、くらし、世界観、人間観の防衛である。グローバル化の物質的論理に対して、精神文化の理念の主張である。
【紀元節】皇紀二千六百七十三年、紀元節奉祝式典