山村明義の神代のブログ 2012-06-24 を転載

「日本人総劣化プログラミング」への初期設定①ー教育編

これまで日本人は、実は戦後知らず知らずのうちに「外国人の言いなりになる」ように初期設定され、プログラミングされてきた。そこで今回は、戦後の日本人を劣化させた元凶の一つである日本の教育制度について触れてみたい。いまの日本の教育制度には、根本的な欠陥が残っていることはこのブログの読者ならすぐにお気づきだろう。

その最大の元凶は、現在の日本国憲法に基づく教育制度が、終戦後GHQの民政局によって骨格が作られ、基本的に彼らの設計通りに運用されているものだからである。

例えば、日本の教育制度の法体系には、まず「教育基本法」、「食育基本法」、「障害者基本法」という3つの基本法が存在する。

この3つの基本法の下の各教育法令には、「人権教育」という学習指導がいまだに存在する。この「個人の人権を大事にしましょう」という教育は、一般的に日本人自身の人権よりも外国人の人権が重視されたり、日本人の特性である集団意識の向上を目指す教育よりも、西欧合理主義に基づく個人の人権意識を重視する方法が採られる。つまり日本人は、学校教育において自動的に思想的な「左翼リベラル」の人間になるように仕向けられる。

その理由は、GHQの方針によって、日本が先の第二次世界大戦で戦争に連合国と勇敢に戦った「日本の保守制度」という制度を弱体化させ、日本及びに日本人を強くしないよう、教育制度を「左翼リベラルあるいは個人主義」になるよう、貶めたせいだ。つまり、「日本を悪くすることや売国的行為を働くこと=善」で、「日本を守ること=悪」というふうに初期設定されているのである。

その名残として、各教育法令に基づく教育方針は、基本的人権が中心の日本国現憲法下で、「教育三法」というものが存在する。

この教育三法は、「学校教育法」、「地方教育行政の組織及びに運営に関する法律=地教法」、「教育公務員(関連)法=教公法(教育公務員特例法などを含む」がそれに当たり、この制度は平成18年まで一貫して、学校の環境・組織・身分の3つが「聖域」として守られてきた。悪名高き「左翼教育」と「ゆとり教育」を率先してきた日教組も、この教育三法によって焼け太りしてきたと言える。

だが、安倍晋三内閣の時に、この教育行政は改正され、校長に権限を持たせ、公務員の教育者は、教員免許の更新制度が導入された。この改正を思想的に一言でいうと、「左翼リベラル教育」から修正し、「新自由主義思想教育」に舵を切ったということであろう。確かに地方教育における「郷土愛や伝統を守る」という概念は入ったものの、学校教育に「競争意識」を導入させたため、保守的な教育者からもいまや反発を買う始末である。

つまり、日本人として「日本を守る」という意識を持たせる教育制度よりも、競争によって国際人となることを目指したものと言えるだろう。しかし、この法改正は、順番が逆であった。学校長を始め、教育者には徹底的に「日本人意識」と「日本を守る国家意識」を持たせなければ、新自由主義に基づく国際競争も出来ない、という実態が最近判明し始めてきたからだ。例えば、過去に左翼リベラル教育を受けてきた校長が下手なリーダーシップを持ち、「独裁制」が敷かれる学校は多い。また、教育免許更新制は、日本を愛する日本人を育てようとする教員までやる気を失わせている。すでに「ゆとり教育」が間違いだったのは日本社会にいる人間ならわかっていると思うが、「何のために日本人教育を行うのか」という理念がそこにはなかったのだ。

一方で、左翼リベラル教育は、文部科学省や厚生労働省の中に残り、現在も例えば厚労省官僚の公式文書は、すべて「子供」を「子ども」と表記している。その理由を官僚に聞くと、「子供という表記は、親が子供を連れるという意味だから人権上、良くない」というのだ。

これもまた日本人総劣化プログラミング」の一つだ。「子どもの人権」を謳い言葉に、満足にしつけすら出来ない親を増やし、子供を甘やかせるだけの旧左翼の教育方針は、本当に自立した日本人や明治維新期のような独創性ある「大物」を生まない、いまも日本社会にとって致命的な弊害を与え続けている。

だが、「左翼リベラル教育」にとって代わるその代案が、日本の理想国家を目指す国益意識と国家意識なき単なる「新自由主義」であった、という教育理念の貧困さこそが、現在の日本の教育制度の悪化を招いていることもまた、間違いない事実なのである。

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