中国内では熾烈な権力闘争が耐えず繰り返され、その緊張や不満のはけ口が、沖縄や台湾、南沙諸島などのあらゆる方面に対する強行的な行動やヒステリックな言動にあらわれているのだろう。この先も、党幹部や軍閥によって何が起こるかわからない。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年6月22日通巻第3693号 を転載

断末魔か、権力闘争の幕引きか、「老江賊」のあがきか
江沢民、個人的な軍事委秘書男の次期軍事委員会入りを画策

江沢民は「老江賊」と言われるほどに評判が芳しくない。だが、第十八回党大会を前にして自派の勢力を政治局内で維持させようと必死であるばかりか、軍事委員会に子飼いのなかの子飼い、賈延安を強引に突っ込もうと暗躍中だと博訊新聞網(6月22日)が報じている。

85歳の江沢民は心臓疾患を患っているが、4月10日には北京西山(軍上層部の居住区でもある)に現れ、政治局常務委員全員を呼びつけたことが複数の情報筋で確認された。
この政治局常務委員会緊急会議で、最終的に薄煕来(前重慶市党委書記)の失脚が決まった。

江沢民は軍事委員会主任のポストに形式上あったが、初期に多くの軍トップは軍歴のない江沢民の言うことなど聞けるものか、と小馬鹿にしていた。
そこで人事権を老獪に駆使して、江沢民に忠誠を誓う軍人を片っ端から重宝し、敵対的軍人を排除し、忠誠派の多くを大将に任命した。

現在の軍事委員会トップの徐才厚、郭伯雄、梁光烈らは、すべて江沢民派。郭伯雄は「郭不雄」、徐才厚は「皮厚」、いずれも「貪官汚吏」と呼ばれ生粋の軍人からも嫌われている。

ついでに言うと江沢民派は「江家幇」とも「老江賊」とも言われるが、政治局常任委員会の江沢民派である周永康、呉邦国、李長春、賈慶林の四人を「新四人組」と呼ぶこともある。

したがって軍のトップに居座る「江家幇」メンバーと政治局から新四人組が、党大会で引退後、ようやくにして胡錦涛が人事権を行使して軍権を掌握する段取りだった。
この段階にきてまたまた横やり、江沢民が軍事委員会の人事に容喙してきたのである。

賈延安は軍人ではない。彼は江沢民の個人秘書である。現在59歳。
1982年、江沢民がまだ電子工業副部長だったころから、賈は江沢民の個人秘書として仕えた。
天安門事件以後、89年11月に江沢民が軍事委主任となるや、賈は軍における江沢民オフィスの秘書に任命され、五年後にかれは軍事委員会弁事処副主任となり、解放軍の中枢で勤務することになった。
軍のまんなかにあってその動向を賈は江沢民に逐次報告していたのだ。
そして同主任を経て、賈延安は2007年に解放軍総政治部の副主任にまで成り上がった。

実際の軍事訓練さえ受けていない男が軍中枢の要所にいること自体、たたき上げの軍人からみれば不満である。しかも賈延安は軍内での特権を利用して腐敗の噂が絶えず、江沢民が派遣したお目付役でなければ、とうに血祭りにあがっていた。
この男を江沢民は総政治部主任につかせ、あわよくば次期軍事委員会入りを画策しているわけだが、軍内の不満は沸騰している。