最近の李登輝元総統の発言(3月17日、4月30日)

台湾の声編集部

前總統李登輝(右)民進黨主席蔡英文(左) 自由時報5月1日より

前總統李登輝(右)民進黨主席蔡英文(左) 自由時報5月1日(記者王藝菘攝)より

3月17日に李登輝元大統領のもとを訪れた蔡英文民進党主席(次期大統領候補)に対して、李登輝元大統領は、日本の明治維新で、徳川幕府が大政奉還した過程において、坂本竜馬が智慧を凝らし、連合と団結によって当時の日本の政治状況の分裂を防ぎ、試練を乗り越えたことを例にあげ、蔡主席に対して、台湾人は国際社会において困難な現状にあるが、連合と団結によってのみ、台湾を前向きに発展させることが出来る、と語った。

自由時報2011年3月18日
http://www.libertytimes.com.tw/2011/new/mar/18/today-p6-2.htm

李登輝元大統領が、「中華民国」体制から台湾人民への「大政奉還」をイメージしているためにこのような発言があったと見られている。

4月30日に「動員戡亂時期停止20周年シンポジウム」において、李登輝元大統領は、「台湾には民主制度があるが、正常な国家ではなく、主体意識が確立できず、民主改革への反動者が国家装置をいまだに掌握し、台湾主体意識を捻じ曲げて、民主の発展を抑圧している。みんなが団結し自信を持ちさえすれば、台湾は必ず憲法制定、正名という目標を実現できる。」と呼びかけた。

李元大統領によれば、これまでの憲法修正は、制約の中で進むための便宜に過ぎなかった。中華民国憲法を凍結し、憲法修正条文を定めたが、新憲法制定によって一気に目標を達成することが出来なかったことは、非常に不満であったが、当時の政治環境ではやむをえなかった。

1948年の「動員戡亂時期臨時條款」が、国民党の一党独裁の法的根拠となり、中華民国憲法を凍結して、「万年国会」の原因となり、また、行政・立法・司法の相互牽制も凍結されてしまった。蒋経国の晩年に台湾人の人材を育て、戒厳令を解除し、新聞を自由化し、政党結成を自由化することで変化がもたらされ、李元大統領が民主化を進める基礎ができた。

1991年4月30日に「動員戡亂時期臨時條款」停止を宣言し、43年もの動員戡亂時期を終結させ台湾を抑圧する憲政の足枷を弛めたが、大統領を引き継いだ当時は、非常に大きな守旧勢力が利権を放棄しようとしなかった。

動員戡亂時期の停止は、「中国統一」の神話を終結させることに他ならないが、改革はそれほど容易ではなく、一気に目標を達成することは不可能であった。そのため「国家統一委員会」を設置して、「両岸統一」のハードルを高くすることで、世界に対して、「私たちは大陸反攻の意図は無い」「私たちと中国とは別々の国家である」ことを表明したのだ。

自由時報2011年5月1日
http://www.libertytimes.com.tw/2011/new/may/1/today-p7.htm

 
転載元
『台湾の声』http://melma.com/backnumber_189960/
編集部 taiwannokoe@googlegroups.com