山村明義の神代のブログ 2012-10-07 を転載

まず最近の仕事の多忙など諸般の事情のため、しばらくブログを休載していたことをお詫びしたい。
いま大多数の日本人は、「マスコミは悪い」あるいは「マスコミはいらない」と考えている。それは一般的にいえば、「失われた20年」以前の日本のマスコミ全体の報道のあり方、方向性が間違っていたからだ。

具体的にいえば、現在多くのマスコミは、「国民、あるいは国民の知る権利のため」という名目を大義名分にしながら、多くの場合、日本の国益を損ない、ひいては国民のため、将来の子供たちのためになっていない場合が多い。中国や韓国など外国をことさら美化する一方で、日本を必要以上に悪く言う報道番組。質の低いバラエティ中心の放送番組など、その具体的な例は枚挙にいとまがないことは、周知の通りである。この最大の原因は、結論から言えば、真の日本人のためではなく、「戦後GHQに洗脳されたマスコミ自身のため」の報道や番組になり果てているためだ。

例えば、今回の総裁選で自民党新総裁となった安倍晋三元首相に対する凄まじいバッシングが、その典型的な例だ。安倍元首相が今回、日本を良くするためにどんな思いで立候補したのか、日本をどこに導くのかという理念をわかろうともせずに、「安倍氏は権力者で悪い政治家だ」というイメージだけで叩こうとするのが彼らの常套手段だった。つまり、「マスコミとはどんな存在なのか」という根本的な存在理由を明らかにしないまま、国民をミスリードしていくことこそ、最も大きな問題なのである。こういう方向性と理念の間違った報道を、日本のマスコミは、自らが民主党政権を誕生させた責任と反省もなく、行おうとするのだ。

なぜ日本のマスコミは間違うのか。
これまでマスコミに対する批判は、「元ジャーナリスト」の上杉隆氏のように、「記者クラブ制度による既得権益」に対するものが中心であったが、「既得権益批判」は本質的に記者クラブだけが問題なのではない。
それにはまず、戦後占領憲法の問題がある。

ジャーナリズムの第一線にいた人間なら誰でも教わることだが、彼らはまず「憲法とは国家を監視するために作られている。だから報道の自由を持っている我々は何をやっても許される」という偏見と妄想を抱く。つまり、「マスコミ様は日本社会で一番えらい」という発想である。

これは、GHQが日本国民に意見を聴取することもなく、一方的に作った日本国憲法や21条の「表現の自由」を作ったことに基づく。この憲法は、マスコミやジャーナリズムを守る根拠となっているが、一方で日本の憲法全体の枠組み全体が、「日本国家を監視する」方向と目的で作られているため、マスコミはGHQによって与えられた既得権益に乗ってただひたすら「国家」を批判することのみ汲々としてきた。

次に問題になるのは、彼らの思想や哲学である。 いうまでもなく、現行憲法19条には「思想・信条の自由」があるものの、戦後の日本は実体的には、「国家を守る」という言動は、「右翼」と見なされ、少なくともマスコミ内ではそのような思想を持ちにくかった。

この思想は、日本及びに日本人を守れる日本固有の思想ではなく、ルソーに始まった西欧型の「人権・自由・平等」を建前としているが、その実態は日本の国旗・日の丸すら各家庭で堂々と挙げられないなど日本社会全体にいまだに悪影響を与えている。また朝日新聞やNHKなどが左翼だらけなのは、GHQが戦後、日本国家を弱体化するために作られた憲法の影響が及んでいるのは間違いない。マスコミに関しては左翼学生運動が盛んだった60年代ー70年代にマスコミに入った活動家たちがマスコミに就職し、いまはマスコミのトップになっていることも大きい。つまり、戦後のマスコミには「左翼にあらずんば人にあらず」という風潮があった。だからこそ彼らは、安倍晋三氏のような保守的な政治家が表舞台に出てくると、すぐにバッシングを始めようとし、それをネットで擁護する論調を見つけると、習性的に「ネトウヨ」などと一方的に非難する。まるでGHQに餌付けをされた「パブロフの犬」なのだ。

他にも放送番組の編成権を事実上握っている電通も戦後GHQから既得権益を譲り受けた利益団体である。基本的にはこのような思想偏重こそが戦後民主主義の「重い病」であることに気づく必要がある。

実際にいま、東日本大震災や中国・韓国のむき出しの反日行動以降、日本のマスコミは急速にかつての左翼リベラリズム中心のマスコミ論調が力を失いつつある。国際社会でも経済力を中心に日本が力を失いつつあるいまマスコミがいま行うべきことは、自ちが強く支援してきた「左翼リベラリズム」を標榜した民主党政治が、なぜ日本の国家を芯から腐らせるほど悪かったのか、そして戦後マスコミのあり方として自らの責任を含め、真摯な反省と「日本が真に良くなり、蘇るための思想とは何か」を問い直すことである。いまほど日本のマスコミには、「日本とは本来どんな国なのか」、「日本を本当に良くするため、あるいは強くするために、GHQに洗脳されたものではない、独自のどんな思想や哲学が必要なのか」という反省と再考が、強く求められる時代はない。

 
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