いつも歯切れよくお話してくれます。賛否はあるでしょうが、「強いリーダーの出現が必要だ」というのは間違いない。すべての人が望むところだ。日本だけではない、近隣諸国からも望まれている。
田母神俊雄オフィシャルブログ「志は高く、熱く燃える」 を転載
エリート教育、リーダー教育を復活せよ
日本は今、大変な岐路に立っている。本来国を守るべき政府が先頭に立って我が国のぶち壊しをやっている。政治家は、政治家による政治家のためだけの政治をやろうとして、毎日毎日政争に明け暮れている。そのぶち壊しに抵抗して国を守ろうとする役人は、次々にクビになるから、もはや誰も国家、国民のために闘おうとしない。政治家も役人も国家、国民のことなどより、自分のことばかり考えている。日本は今のところ、世界一の金持ちの国であるが、このままでは早晩、我が国は転落をまぬかれないであろう。しかし多くの国民は我が国がおかれている危機的な状況については気が付いていないようである。危なくなれば、突然水戸黄門が現れて、悪人どもを退治してくれると思っているのかもしれない。
我が国は戦後、エリート教育、リーダー教育を怠ってきた。その結果、日本国民の一般的な道徳観、思いやりの心、礼儀正しさなどは、世界一高いものがあるにも拘らず、政治家などリーダーのレベルは全く国民のレベルを反映していない。諸外国のリーダーと比べれば、我が国のリーダーたちのレベルは格段に低いのだ。一般国民と同じレベルの人がある日突然、総理大臣などになる。だから、首脳会談などをテレビで見ていると、どっしりと構えている他国のリーダーに比較して、我が国のリーダーは眼が泳いでおり、落ち着かないそわそわとした様子である。挙句の果てはメモ書きを読んだりする。
何故そうなってしまうのか。外敵と戦うことこそがリーダーの任務であるとの心構えができていないからである。本来リーダーは一般国民よりはるかに高い見識と、自分のためではなく「国家、国民のために」という高い志を持つことが必要である。我が国にはいまそのような高い志を持ったリーダーがいない。民主党政権になってなおさらリーダーの質は低下している。本来国をリードする力量のないものが総理大臣になる。戦前の帝国大学では学部にかかわらずカリキュラムの3分の1はリーダー教育だったのである。
一方で戦後の我が国には左翼思想が蔓延してきた。我が国政府が油断している間に、学校教育は日教組など左翼に乗っ取られ、自分で努力するよりは国におねだりすることばかりを教えてきた。若者に日本悪玉史観を植え付け、中国や韓国に謝罪してカネを出すべきだと教えてきた。権力者や金持ちは悪事を働いているに違いなく、弱者は社会の犠牲者であると教えられてきた。弱者救済は政治の機能としては大切なことであるが、これが行き過ぎると、怠け者の国民を増やすことになり、自分で頑張ろうとする人はいなくなる。我が国では今、権力者や金持ちは悪であり、貧乏人は正義であるとの思想が広まっている。これは社会を停滞させる「ねたみ・ひがみの思想」である。
人生の運、不運はあるかもしれないが、貧乏人よりは権力者や金持ちの方が何倍もの努力をしているというのが真実だと思う。悪事を働かなければ、みんな結果平等になるというのは究極の左翼思想である。このような風土の元ではリーダーが育ちにくい。そしてそのことが我が国を衰退させることになる。
全ての国民が賢くなることはできない。だからリーダーを育成し、一部の賢い人たちにこの国を指導してもらう形が必要だと思う。我が国はエリート教育、リーダー教育を復活させるべきだ。できる子供がいるとできない子供がかわいそうだから、できない子供のレベルに合わせてしまおうというようなことでは、悪平等主義が蔓延し、リーダーは育たない。みんなで貧乏になりましょうと言っているようなものだ。いまわが国で行われる政策は強い者の力を削ぐ政策ばかりだ。
厚生労働省で検討されているというパワハラの基準、文科省の体罰の基準などもそんなものは不要であると思う。リーダーになる者や先生が自らの責任で常識で判断すればよい。それをさせずにリーダーの判断能力を奪い、リーダーシップを発揮しにくい状況を作ろうとしているとしか思えない。基準とか言うともっともらしく聞こえるが、我が国でいま改革の名の下に実行される政策は、多くは我が国を弱体化させようとするものだ。左翼によって進められ、本来これと戦うべき我が国政府がこれに迎合する。今では我が国の政権までが左翼に乗っ取られている。我が国はいま国家の命運がかかる重大な岐路にいる。
強いリーダーの出現が必要だ。
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