「被災地取材の現場から」を転載
私にとっての初めての地震取材は、観測史上最大規模で、被害が壊滅的なものになった。
一番辛いのは、この悲劇で被災した方や家族を亡くした方々の気持ちを思うことだ。がれきの山や壊滅的な光景、原子力発電所から立ち上る煙の後ろには、住み慣れた家や愛する人を失い、仕事や望みも奪われ、放射能漏れの恐怖とも戦わなければならない人たちがいる。
彼らの悲しみや不安は想像を絶するものであり、もし同じ立場に置かれた自分がカメラマンに写真を撮られたらどう思うかを考えると、シャッターを押すことはとてもつらい作業になる。
避難所となっている福島県川俣町の高校体育館を訪れた時は、毛布を床に敷き、茫然自失となっている人や隣同士で話している方々を見ても、自分が一体何から手を付ければ良いのか分からず、話かけることから始めた。驚かされたのは、こうした状況でも皆さんが優しく、思いやりを持っていることだ。19歳の少女は、私がどんなにお腹が空いていないと言っても、ほんの少ししかないスナックを分けてくれようとした。
30代前半の女性は明るくほほ笑みながら、この状況を世界中に伝えてほしいと言った。「自分たちはすべてを失った。だからこそユーモアを忘れず、これ以上ないほど悲しくても笑顔を忘れない」のだと。
彼女と私は外見がよく似ていて、すぐに仲良くなった。お互いの靴下を指差して「においも似ているね」と冗談を言って笑った。ふたりとも4日間くらいシャワーを浴びていなかったからだ。そして私の取材中の無事を祈り、彼女はハグをしてくれた。
被災地では、涙なしに聞くことができない悲しい話があふれている。私はこの悲劇を取材するに当たり、被災者や遺族の方々の感情を乱したり、気持ちを害したりすることなく、現実をできるだけ多く伝えていきたい思う。そして、世界が手を差し伸べ、祈りを捧げてくれるよう願っている。
(写真/ロイター 中尾友里子)
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ロイターブログ 討論×闘論 「被災地取材の現場から」