「沖縄対策本部」 ~戦後レジームの脱却は沖縄から~ より
沖縄対策本部連続セミナー 第4回テーマ

「日本民族にとっての沖縄県祖国復帰」

-東京で開催する沖縄県祖国復帰式典の深い意義-

    <要旨>

  • 沖縄と本土のボタンの掛け違いは祖国復帰運動に始まった。
  • 沖縄祖国復帰運動を支持していた毛沢東
  • 左翼によってかかれた沖縄の被害者史観
  • 祖国復帰を実現に導いた大田実中将の電文
  • 沖縄返還協定批准(ひじゅん)の強行採決を後押しした沖縄の有志の陳情行動
  • 沖縄の歴史を左翼から取り戻すことが沖縄を守ること

仲村 覚(なかむら さとる)

仲村 覚

沖縄対策本部代表
昭和39年沖縄県那覇市生まれ。昭和54年横須賀の陸上自衛隊少年工科学校に入校、卒業後航空部隊に配属、平成3年退官。複数の企業勤務を経て、平成16年に株式会社フューチャークリエイションを設立。平成21年、中国共産党による沖縄と本土の分断工作による沖縄の中国属国化の危機に気がつき、東京と沖縄での啓蒙活動を開始。沖縄問題に詳しいジャーナリストとして雑誌、新聞への寄稿も行う。

詳 細
日時 夜の部:平成26年4月24日(木)19:00
昼の部:平成26年4月25日(金)14:00
会場 豊島区立勤労福祉会館  第7会議室
東京都豊島区西池袋2-37-4
池袋駅南口徒歩7分
参加費 1,500円
申込先 080-5021-8105 仲村覚
主催 沖縄対策本部

 

主催者より

4.25-26 「日本民族にとっての沖縄県祖国復帰」

沖縄問題の原因の9割以上は、1960年代後半の沖縄県祖国復帰運動にあるといっても過言ではありません。
実は、当時の沖縄復帰運動の中心的役割を担っていた「沖縄県祖国復帰協議会」は、保守の団体でも愛国者の団体ではなかったのです。今で言う沖教祖や共産党や社民党などの革新勢力が中心となって展開された運動でした。

彼らは当時、東京を中心に過激化していた70年安保闘争勢力と連携して、基地撤去闘争、安保闘争の一貫として「祖国復帰」を唱えていたのです。

一方、自民党本部は、「日米琉の協力のもと、本土と沖縄の様々な制度の格差を段階的に解消した後に復帰を実現するべき。」という「本土との一体化」を主張し、民間の復帰運動団体は存在していませんでした。

そのような中、佐藤総理大臣は外務省の慎重論を押し切って、政治主導で沖縄返還交渉を開始しましたが、返還交渉が具体化し、米軍基地機能を維持したままの沖縄復帰の方針が決まると、沖縄県祖国復帰協議会は「完全復帰」や「即時無条件全面返還」を要求し、結局「沖縄返還協定粉砕」を叫び、ゼネストの実施や警察官が死亡するような10万人規模の安保闘争並みの過激なデモをやりはじめたのです。

また、沖縄返還協定の批准を審議する特別国会に復帰前の沖縄県民の声を復帰政策に反映するため、日本政府と琉球政府がそれぞれ特別法を制定し、1970年11月15日に沖縄選出の国会議員を選出する国政参加選挙を実施しました。その結果、当選した衆議院議員5名、参議員議員3名の合計7名を復帰前の沖縄から国会に送り込みました。祖国復帰協議会の会長だった喜屋武(きゃん)真栄(しんえい)氏も当選しましたが、国会では沖縄返還協定の批准を徹底的に反対し、本土の議員にも反対するように訴えかけていました。
つまり、沖縄県祖国復帰協議会の会長が沖縄返還協定の批准を審議する特別国会に、国会議員として参加し批准に大反対したのです。これは、沖縄県祖国復帰の歴史最大の矛盾です。

このように、沖縄返還協定批准に反対する沖縄県民の声ばかりが報道される中で、当時の自民党政府は野党の質疑を打ち切って強行採決で沖縄返還協定を批准し、沖縄祖国復帰が実現したのです。

それ以来、沖縄県祖国復帰協議会は、5月15日を「日米両政府に米軍基地を押し付けられた屈辱の日」として米軍基地撤去の統一行動日として活動を続けています。その後を引き継いでいるのが、現在の普天間基地の移設に反対している左翼勢力です。現在、この統一行動には、沖縄県民だけではなく、多数の全国の労働組合員が参加しています。

このように、沖縄県の祖国復帰実現は大きな矛盾の中で実現しました。この矛盾は、本土の左翼勢力が沖縄県民の復帰したいという気持ちを利用して安保闘争を仕掛けた事に端を発しています。沖縄県民は復帰運動に参加していたつもりが、いつのまにか安保闘争に巻き込まれていたのです。そして、沖縄の反米扇動がピークの時に沖縄の祖国復帰が実現しました。
そのときから、沖縄と本土の交流が本格化したので、「沖縄」=「左翼」というイメージが強くボタンの掛け違いが始まったのです。

沖縄祖国復帰は、本来なら、沖縄の愛国者と本土の愛国者によって実現されるべきでした。しかし、残念な事に本土の保守側には、復帰運動の国民運動は存在しなかったのです。そのため、沖縄の祖国復帰の歴史は、全て左翼勢力によって記録されているのです。

更に、沖縄祖国復帰運動期間中に、教育界、言論界は左翼に乗っ取られたため、沖縄の歴史は全て左翼によって、日本の被害者としての歴史観で貫かれて書かれています。
これが、沖縄問題の本質です。

沖縄を左翼から取り戻すには、まずは、沖縄祖国復帰の歴史を取り戻さなければなりません。
左翼が言うように、当時の沖縄県民は米軍基地を撤去したいから憲法9条のある日本に復帰を望んだのではありません。単純に日本人だから祖国日本への復帰を望んだのです。

また、沖縄の祖国復帰が実現するには、沖縄にも本土にも多くの方の心血を注ぐようなご尽力があってこそ実現したのです。
誰のご尽力により沖縄県祖国復帰が実現したかを知る事は、日本国民の必須知識だと思います。

次回の連続セミナーでは、左翼から沖縄の歴史を取り戻すために、沖縄祖国復帰の真実と、日本民族にとっての沖縄復帰の意義について考えてみたいと思います。
5月18日の「沖縄県祖国復帰四十二周年記念集会」に参加される前に、ご参加いただければ幸いです。
一人でも多くの方のご参加されることを切に望んでいます。

仲村 覚(なかむら さとる)

 


 
リンク


日本の国家を存続させるには、沖縄への工作を集中させる支那と左翼勢力への対策が必要です。マスコミが報道しない沖縄左翼の扇動工作の実態と、それに対抗する情報戦、啓蒙運動に関する情報を配信します。
———————————————————————–
※どこの団体にも所属しない個人メルマガです。
バックナンバー● http://blog.goo.ne.jp/jiritsukokka/arcv
———————————————————————–
■メルマガ未登録の方は是非、登録をお願いします。
PC● http://www.mag2.com/m/0000287803.html