山本善心の週刊木曜コラム〈373号〉 を転載

李登輝台湾元総統の単独インタビュー(1)

時局心話會代表 山本 善心

3月15日、淡水にある台湾綜合研究院に李登輝台湾元総統をお訪ねして、日台を取り巻く、現今の政治、経済、歴史に関するご意見を伺った。本文の一部は以下のとおりである。この模様は4月11日、午後9時からBS11で放映された。なお、筆者と、ジャーナリストの宇田川敬介氏がインタビューを担当した。

山本善心:今日は、まず歴史の問題、現在の政治状況、経済問題、それから今後の日本に対するご意見などご質問させて戴きたいと思います。
まず、1895年から1945年の間、台湾は日本の植民地下にありました。我が国の台湾統治は、台湾にどのような影響を与えたのか。そして「日韓併合による朝鮮統治は日本側が一方的に悪いことをした」と政治問題化しています。しかも韓国側の歴史観に日本政府や反日議員が同調しているのは残念なことです。その当時の歴史に詳しい李先生のご意見を伺いたいと思います。

李登輝:このことに関しては一言で結論が云えます。台湾は50年間の日本の統治下で近代化されました。その間、台湾に大きな変化をもたらしたのは、何と云っても伝統的な農業社会から近代社会に変貌を遂げたことです。
また、日本は台湾に近代工業資本主義の組織経営観念を導入しました。台湾製糖株式会社の設立は、台湾の資本的工業化の発展となり、台湾銀行の設立により近代金融経済を取り入れたのです。さらに度量衡と貨幣を統一して、台湾各地の流通を早めています。1908年の縦貫鉄道の開通により、南北の距離は著しく短縮され、灌漑水道と日月潭水力発電所の完成は農業生産力を高め、工業化に大きく一歩を踏み出すことができたのです。

日本はまた、台湾に新しい教育を導入しました。伝統的な私塾は次々と没落し、台湾人は公学校を通して、新しい知識である博物、数学、地理、社会、物理、化学、体育、音楽等を吸収し、徐々に伝統的な儒学や科挙の束縛から抜け出すことができました。そして世界の新知識や事象を理解する様になり、近代的な国民組織や国民的意識が培われたのです。1925年には、台北高等学校に文科・理科からなる高等科が設けられました。台北帝国大学は1928年に創立され、台湾人は大学へ入る機会が得られました。直接内地の大学に進学する者も出てきました。これによって、台湾のエリートはますます増え台湾社会の変化も日を追って速くなったのです。
こうして、近代観念が台湾に導入された結果、時間を守る、法を守る、さらに金融、貨幣、衛生、そして新型の経営管理を会得した「新台湾人」を作り上げることができました。
これが50年間日本植民地時代に台湾を近代化させた大きな功績です。
韓国側の問題は後程話します。

山本善心:日本の統治後1945年から1990年まで、中国国民党が武力で台湾統治することになります。1947年2月28日に行われた2.28事件というものがありましたね。国民党の政権が台湾住民に与えた苦痛は地獄の世界であったとも聞いておりますが、そうした過程を経て李先生は台湾人として初めて台湾総統に就任され、しかも22年前に台湾の民主化を実現された訳でございます。
台湾の民主化がその後どうなったのか、これは世界から喝采を浴びた台湾革命ですが、決して生易しいものではなかったと思います。この民主化について、今李登輝先生はどのようにお考えでしょうか。

李登輝:1945年10月、国民党政府が台湾を接収した後、特権が横行した為、政治は腐敗しまして社会秩序の混乱を招き、1年半を経ずして1947年2月に2.28事件が起こり火種は台湾全島に広がりました。国民党は中国大陸から兵を送り込み鎮圧に当たり台湾のエリート、民衆を数万人惨殺し、台湾人を恐怖の底に落とし入れ台湾人の正義に関わる勇気を喪失させました。1949年5月、国民党政府は台湾に戒厳令を敷き暫くして国民党政府そのものが中国大陸の内戦に破れて台湾に退いてきました。そして自らの政権を堅固なものにするため、多数の反対分子を逮捕しました。これが所謂、1950年代の白色テロと呼ばれるものです。国民党は更に大陸反攻を国策とし独裁体制を作り上げたのです。そして戒厳令は38年間も続き、1987年になりやっと解除されました。これは前代未聞のことであり、台湾人がいかに言論の自由や思想や結社の自由が剥奪されていたか、当時の不安と恐怖の中での生活や恐ろしさを皆さんは想像できるでしょうか。
戒厳体制を打ち破るため台湾エリート達は長い時間をかけ多数の犠牲者を出し、倒れては起ち上がり民主化運動が止まらず、やがて国民党が譲歩せざるを得なくなりました。
私、李登輝が台湾人として初めての総統に就任してからの12年間は、何とかして台湾人の期待に沿うことが出来るよう民主化と台湾本土化を定着させるという争いの連続でした。
まずは、「万年国会」を解散、終結し、また中華民国憲法の改正に踏み切りました。さらに1996年は歴史上初めて、人民による総統直接選挙を実行しました。その結果「主権、民にあり」の観念が徐々に定着し自由民主の社会が打ち立てられ台湾人は国民党の統制から離れて、台湾主体の人民が生まれるようになったのです。これが私の強調する、静かな「無血革命」で、台湾を独裁体制から自由と民主主義という民主化に打ち替えることが出来たのです。

山本善心:ハンチントン教授は民主化が定着する難しさを発表していますが、これを定着させるにはいくつかの難問・抵抗が22年間あったと思われます。その後の陳政権或いは馬政権ではこの民主化は順調に守られ育成されてきたでしょうか。それとも、いろいろな問題で間違った方向に進んでいることがあったりしたのでしょうか。

李登輝:私の使命のひとつであった、台湾民主化は一応軌道に乗りました。
しかし、民主主義というのは文化であり生活様式でもある。それが定着するまでは完成したとは言えない。民主化の完成の道はなかなか長いものだと私は思っておりました。陳水扁総統は期待された程の使命感は持ち合わせていなかった。台湾の民主政治を曲げてしまった。また馬英九政権になって何も起こらず、ただ昔の政治体制を踏襲しているだけです。むしろ、殆どの台湾の主体性を喪失して、中国に全てを託するような政策を取っています。台湾の民主化、自由化というものは徐々に変な形で中国に近寄って行く様に見えてなりません。

山本善心:今回の台湾総統選で蔡英文さんが負けたことについて伺います。
この最大の原因は、台湾の経済界が馬さんを後押ししたことと聞いております。また米国も馬総統にもう1期4年間やらせてはどうかと蔡さんに対して冷たかった。今後の4年間は、馬総統の体制で台湾と中国の経済関係がどのようになっていくのか、そういうことによってずいぶん今後の中台関係は変わっていくだろうと思われますが、如何でしょうか。

李登輝:馬英九総統は台湾の経済主体性というものを殆ど放棄した形で中国との関係を結んできました。台湾経済が主体性として何をやるべきかということがはっきりしていません。
現在、中国大陸においてはかなりの台湾企業及びビジネスマンが活躍しています。そしてそこで工場を建設したりしていますが、中国大陸自体が大きな問題にぶつかっています。まず世界に於ける需要の減少から、中国大陸がかつて「世界の工場」として発展してきましたが、前途に暗雲が立ち込め始めたということがあげられます。中国の温家宝首相が今年から中国経済は8%という経済成長率を維持できず、次第に下降して行かざるを得ないとハッキリいっています。中国経済は製造業の発展と輸出によって国の富を増やそうとする考え方が継続出来なくなりました。中国経済は何とかして内需を拡大して、国民全体が裕福な生活が出来る様に政策転換しなければなりません。その為に恐らく、今まで軍事費に使っていた予算をオーバーするぐらいのお金が必要になるでしょう。それでうまく行くかどうかという保証はありません。このことは現在の台湾問題でもあるのです。大陸で活躍するビジネスマンにとっても同じ問題が突き付けられています。
ただ、今回の総選挙で、この困難で最も重大な問題は十分に討議されていないのは残念です。蔡英文は、民進党の候補者として出ましたが、今のビジネスマンから見た場合、彼らに対応する政策というものが殆ど発表されていません。それに今後の馬英九総統は、台湾がこれから中国の新しい変化にどう対応していくのかという政策も取られておりません。ただ中国大陸内部としては、台湾のビジネスマンに対して、蔡英文に投票しないよういろんな形で影響力を行使しました。だいたい、中国で活躍する台湾のビジネスマンの得票数は40万票以上あります。台湾国内のビジネスマンも、中国大陸の経済問題を重視しない民進党には投票しないということになり、蔡英文は負けたのです。

次回は4月19日(木)

リンク
時局心話會