愛国女性のつどい「花時計」 より転載

2月11日は「建国記念の日」で、大東亜戦争敗戦前は「紀元節」と呼ばれていました。

「紀元節」が制定されたのは1872年(明治5年)です。日本最古の官製歴史書『日本書紀』に初代天皇である神武天皇が紀元前660年に奈良の橿原(かしはら)の地で即位した、とあるので、その年を日本の起源=皇紀元年としました。
そして、その年の元日を陽暦(新暦)に換算すると2月11日になるので、2月11日が「紀元節」となったのです。

「紀元節」は1945年の敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって廃止されました。しかし1951年頃から「紀元節」を復活させたい、という国民の願いが形になり、1957年2月13日に自民党の衆議院議員らによって「建国記念日」制定に関する法案が提出されました。しかし当時、野党第1党の社会党が反対し、成立には至りませんでした。その後9回も法案の提出と廃案を繰り返し、結局1966年、名称を「建国記念日」ではなく「建国記念の日」とすることで社会党が譲歩し、国民の祝日に加えられました。

神武天皇なんて神話の世界の登場人物で実在した人間ではない、と考える人もいるでしょう。しかし神話というものは私たちの祖先が数万年、あるいは数十万年にもわたって経験した記憶の伝承であり、集合的無意識とでもいうようなものです。それは今、現代を生きる私たちの深層心理の中にもしっかりと生きているはずです。それに神武天皇の存在は『日本書紀』に書かれているので歴史的事実と言えると思います。

「八紘一宇(はっこういちう)」という言葉は神武天皇がおっしゃったとされています。「八紘」は世界、「一宇」は一つの家族、という意味です。当時、日本列島にはさまざまな部族が住んでいたでしょうけれども、それらが一つの家族のような国を築く、というのが神武天皇の建国の理想です。その理想にあらゆる部族が同意して、一つにまとまったからこそ統一国家ができたわけです。

2012年=皇紀2672年です。神武天皇に始まった皇室は2600年以上経った今も、絶えることなく続いているわけです。こんな国は世界で他にありません。「建国記念の日」は玄関に国旗を掲げ、国民こぞってお祝いしたい日です。

(花時計 岡真樹子)

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