多くの国民の命を一瞬にして奪った人為的大事故の直後から、中国政府当局が真っ先に考えて行動に移しているのは、まさに数字の隠ぺいと証拠の隠ぺいと原因の隠ぺいという、国民の目を欺くための隠ぺい工作ばかりであることがよく分かったのである。
つまり、「国威」と「利権」のために、人間の命なんかはどうでも良いというのは、まさにこの「人民共和国」の一貫とした流儀なのである。

石平(せきへい)のチャイナウォッチ 2011.07.25 No.132号 を転載

■緊急寄稿■中国の高速鉄道大事故について

23日の夜に起きた中国の高速鉄道追突事故の大惨事にかんしては、筆者の私は24日に終日広島に講演出張のため、やっと自宅のパソコンに向かって情報の収集ができたのは25日の朝である。

各メディアの報道によって事故の全容は徐々に明るみに出ているが、現在の時点で、私自身が一番疑問に感じているのは、事故死者の人数は果たして当局の発表した数十名であったかどうかである。

追突した方のD301列車から3両の車両が高さ15メートルの高架から落ちて、地面に叩き潰されたことは映像や写真から確認されている事実であるから、死者は果たして鉄道部の公表した「35人」に止まっているかどうかはやはり疑問だ。

現に、国営通信社の新華社が「死者43名」と報じた直後の24日深夜、鉄道部はさっそく「35名」の数字をもって新華社の報道を事実上修正したという経緯がある。国務院所属の政府部門である鉄道部は、同じ国務院所属の「権威ある」国営通信社の出した数字を否定したことは中国の体制下では普段ならあり得ないことではあるが、肝心の死者人数をめぐるこのような前代未聞の混乱は逆に、数字への意図的操作あるいは死者数の隠ぺいを感じさせるものである。

そして一部の日本のメデイアも報じているように、事故発生後の24日の朝、中国当局は7台のショベルカーを使って、追突した車両の運転席部分を穴を掘って埋めたことが確認されている。政府当局は後に、「事故車両の回収機械を設置するために穴を掘った」と釈明しているが、ネットで流されている現場の写真を見れば、掘られた穴の中に破壊された車両が投げ込まれていることは明々白々の事実である。

要するに当局は、事故の原因解明にもっとも重要な証拠が隠されているはずの運転車両を埋めることによって証拠の隠ぺいを計っていたに違いないが、多くのマスメデイアが見ている中で白昼堂々の隠ぺい工作を行うとは、まさに一党独裁の中国当局ならではの芸当であろう。

24日の深夜に開かれた現地記者会見で中国鉄道省の王勇平報道官の行った「事故原因説明」に至ると、それはまた、中国国民全員を徹底的にバカにしているような「子供騙し」の最たるものである。

彼は曰く、「落雷による設備故障が事故の原因」であるという。しかしそのような説明はまったく説明となっていないことは明らかである。今回の事故はあくまでも「衝突事故」なのだ。要するに線路で一時停車中の列車に、別の列車が相当のスピートで走ってきて追突したから大事故となったのである。

しかし王報道官の説明は、追突された方の列車は線路で一時停車したことへの原因説明であっても、それは決して、「追突」が起きたことの原因説明にはならない。

というのも、たとえば追突された方の列車は「落雷」などの理由で一時停止した場合にしても、後続の列車への連絡がきちんと届いていれば、あるいは後続列車の自動制御措置がきちんと発動していれば、「追突」としての事故が起きなかったはずであろう。

したがって、今回の事故の原因究明の最大のポインはは当然、「追突した方の列車がどうして追突してきたか」の一点にあるのだが、上述の鉄道部報道官の「原因説明」は明らかにポイントを意図的にぼかして、いわば「天災」としての「落雷」に事故の責任を転嫁しようといる魂胆であろう。

とにかく、多くの国民の命を一瞬にして奪った人為的大事故の直後から、中国政府当局が真っ先に考えて行動に移しているのは、まさに数字の隠ぺいと証拠の隠ぺいと原因の隠ぺいという、国民の目を欺くための隠ぺい工作ばかりであることがよく分かったのである。

その際、中国政府が一番番恐れていることはすなわち高速鉄道の失敗による「国威の失墜」であるが、鉄道省とその幹部たちが一番恐れているのは結局、事故の全容が明るみに出た中でこれからの高速鉄道の整備がストップをかけられたことによって、自分たちの利権が失われることであろう。

つまり、「国威」と「利権」のために、人間の命なんかはどうでも良いというのは、まさにこの「人民共和国」の一貫とした流儀なのである。

( 石 平 )

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