中東を中心に権力構図が変化する中、シンガポールの独裁者リーカンユーが表舞台から引退した。権力を失うことは死を意味する独裁者。生き恥をさらす前に静かに身を引いたのか、それともやがて次期権力者によって裁かれるのか、気になるところだ。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成23年(2011)5月16日(月曜日)通巻第3328号。を転載

シンガポールの独裁者リーカンユーの政界引退をどう読むか?

「後進に道を譲る」は表面の理由。独裁の末路を目撃して静かに「変身」ではないのか

シンガポールの独裁者リーカンユー(元首相)が引退を表明した。
豪腕をもって華僑のすみかを独立主権国家だと言い張り、無理矢理マレーシアから独立して人口国家を「経営」してきた。

欧米とは「反日」の基軸で一致できるので、評判がよかった時期もある。ニクソンは反共の闘士としてベトナム戦争の終わりごろまで、リーカンユーを高く持ち上げた。

しかしリーカンユーは批判を一切許さず、独裁とか失政と書かれると、そのメディアの支局閉鎖、発売停止処分という強硬措置を頻発。むしろ欧米メディアは、そうした言論の自由への圧迫から、リーに対して批判的だった(とくにウォールストリート・ジャーナルはよく発禁処分にされた)。

観光とハブ空港、石油精製と中継貿易ならびに金融によってシンガポール経済は躍進し、南アジアの優等生とされた。
この秘密は独特の移民政策になり、技術者の単身赴任という奇策を多用してテクノロジーを吸収し、つぎにアラブ世界とも中継貿易と国際金融のノウハウで接近し、大いにドルを稼いだ。

国内的には中国人のアイデンティティをむしろ希釈させ、国語を英語にするという実験国家を創った。国際的に民族のパーソナリティをもたない「シンガポーリアン」が輩出した。
若い世代のシンガポーリアンは、したがって中国語を話せない人が多い。

政界引退の理由は「後進に道を譲る」。これは表向きの理由だろう。
チュニジア、エジプトで独裁者は倒れた。リビアの独裁者は内戦状況のなか、ひたすら武断政治を継続し、バーレーン、シリア、イェーメンの独裁者も最後の悲鳴を上げつつも、巧妙な生き残りを図っている。

しかし独裁の末路を目撃したリーカンユーは、大いに感ずるところあり、シンガポールの独裁者陥落という最悪のシナリオを避けるために舞台から姿を消す決断をしたのだ。

かれの野心は「アジアの大政治家」としての評価を得たいことだった。「反共」を掲げた時期はたしかに、蒋介石より評価された時代も暫定的にはあった。
だから台湾の李登輝総統への高い評価に嫉妬し、台湾との密月関係を希釈して、北京と通じるという外向的転換もやってのけた。

後世の歴史家が、リーカンユーを、いまより高く評価することはたぶんないだろう。

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