「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成23年(2011)3月1日(火曜日)通巻第3255号を転載
武田四郎勝頼は周囲全員に裏切られ、最後は忠臣に裏切られ、天目山に消ゆ
カダフィは治安部隊、親友、閣僚から見放され、ついに愛人も去った
2011年2月25日、国連の安保理事会。リビア大使が声涙溢れる演説をした。
「(カンボジアの独裁者)ポル・ポトはなぜ国民の3分の1を処刑したのかと聞かれ、人民のためだと答えた。ヒトラーは、総統の栄光のため国民の死などたいしたことではないといった…」。
しかしカダフィよ、とシャルガム国連大使は呼びかけた。「国民に手を出すな。われわれは決して降伏しない」と訴えた。
この演説が終わると、各国の外交官はシャルガム大使にかけより、抱擁して勇気ある発言をたたえた。リビアのシャルガム大使は、「変節ではない。カダフィがこれほどの犠牲者を出すことを想像していなかった」とした。
法相につぐ側近の裏切りである。大使は半世紀を超えるカダフィの親友だった。
第二の都市ベンガジなど東部を制圧した「反カダフィ」派は手製の新聞を発行し始めた。ベンガジでは「市民の戦い」を世界に伝えるため海外メディアに情報提供を開始、カダフィ政権の検閲がなくなったため次々と新聞が発行されているという。
カダフィ大佐に反旗を翻し反体制派に合流したアブドルジャリル前司法書記(司法相)はベンガジを拠点に「リビア暫定政権」を樹立すると表明した。
27日、反カダフィ派はベンガジに「国民評議会」を結成した。
国民評議会のスポークスマンは「カダフィと交渉はしない」とし、同時にアブドルジャリル暫定政権構想は「彼の個人的意見」と素っ気なかった。
こんどは治安部隊の一部がカダフィから離反する。
トリポリの一部地区の防衛にあたっていた治安部隊は任務を放棄した。これにより「トリポリ政権」が急速に孤立してゆくのである。
▼天目山の夕日が見える
カダフィの次男=セイフイスラムは「東部をリビアから切り離すことはできない」と述べ、政権維持への執念を燃やしたが、トリポリのタジュラ地区では反カダフィ派がコンクリートブロックやヤシの木でバリケードを構築したうえ、自動小銃で武装、内戦に備える。
東部一帯を管轄する陸軍もカダフィを見限った。
もとよりリビア陸軍は正規軍とはいえ練度ひくく、カダフィとは距離をおいてきた軍隊であり、カダフィ忠誠派は次男が掌握する2500の特殊精鋭部隊。しかも空軍はカダフィの同郷同族以外からは採用していないので、裏切りは一番遅くなるだろう。
カダフィ大佐の愛人のひとり、ウクライナ人のガリーナ・カロートニツァ看護士も見限った。
ガリーナは9年前からトリポリの病院で勤務、カダフィが見初め専属看護師兼務とした。
「ウィキリークス」は米外交公電が「2人は愛人関係の可能性」という情報を暴露した。
ガリーナ・カロートニツァ看護師の家族は、ウクライナ地方紙のインタビューに「彼女はリビアの危険な状況から逃れ帰国する」と伝えてきたと答えた。
トリポリ市内は内戦状態に陥っており、2月25日の段階でカダフィ支持派の治安部隊が反体制派のデモ隊に無差別に発砲して以来、血の海である。
米国が動いた。
コーエン米財務次官代行(テロ・金融犯罪担当)は2月28日「対リビア制裁の要として300億ドル(約2兆4500億円)のリビア政府資産を米国内で凍結した」と公表した。過去に米国が発動した単独制裁では過去最高額。凍結は英国につづくが、英国内のカダフィの資産も邦貨換算で一兆円を超える。
これらは米国内の銀行証券ファンドなどが管理するカダフィと息子4人らの資産ばかりか、リビア政府の資産が含まれ、すべてを凍結する強硬措置、これで海外への脱出もしずらく、身動きがとれなくなる。
オバマ大統領はすでに「大統領令」に署名していた。
武田勝頼は最初に側近中の側近だった穴山梅雪に裏切られ、穴山は徳川家康の拠点へ走った。これがきっかけで武田家重臣らが、次々と勝頼のもとから離反し、信長と内通してゆく。
信長家康連合軍が木曽路から甲斐路を目指す中、とうとう勝頼は新府城から甲府を東へ逃げた。
天正十年三月十一日、最後に付き添ったのは僅か二十数名、天目山にさしかかるや忠臣と思われた小山田茂にも裏切られて、壮絶な最期を遂げた。
カダフィ大佐、壮絶な自刃を遂げられるか。
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