1968年日米両国の裏工作として、沖縄初の公選選挙で保守系候補を当選させようとしていたが、失敗に終わっていたことが明らかになった。日米両政府共に、民意を把握できなかったのだろう。
47ニュース 2010年12月22日 を転載
日米、琉球主席公選で裏工作 沖縄返還前の68年
沖縄返還前の1968年に実施された初の琉球政府主席公選で、日米両政府が自前の親米保守系候補を当選させるため、沖縄県民が長年求めていた国政選挙への参加をこの候補の実績作りに利用する裏工作を展開していた実態が22日開示の外交文書で明らかになった。
主席公選は11月で、日米両政府が水面下で支援したのは沖縄自民党総裁だった西銘順治候補。西銘氏に有利に働くよう米側が自民党に、選挙資金のテコ入れを促していたことも判明。70年代の沖縄返還が視野に入り始める中、自分らに協力的な県民代表をなりふり構わぬ手段で選ぼうとした日米の返還政策の内実が浮き彫りになった。(共同)
この復帰後に行われた選挙において初代公選知事に選出されたのは、1968年から第五代琉球政府行政主席(公選によって選ばれた)
であった屋良朝苗(やらちょうびょう)である。
1976年からは屋良朝苗前知事以来の政策を継承した平良幸市氏が就任していたが、上京した際に脳血栓で倒れ、辞任した。
1970年から衆議院議員であった西銘順治氏はその年の県知事選挙で当選し、以降3期務めた。