「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年6月20日(水曜日)通巻第3689号

重慶ミステリーは、カンボジアでまだつづいていた
薄夫人と親しかったもう一人の男性トモダチ(フランス人)が逮捕された

▼事実上イギリスで同棲したほど親密なフランス人設計技師がいた

薄夫人に殺されて英国人ヘイウッドの話ではない。もう一人、薄が大連市長時代から親密に薄ファミリーに出入りして、とくに奥さんと親しかったフランス男のその後、である。

まずは下記の再録。小誌5月22日号からである。
(引用開始)

「パトリック・アンリ・デビレル(フランス人建築家)はカンボジアにいた。この男、かつて大連で薄ファミリーのネットワークのなかで最大級に薄夫人の谷開来と親しかった。建築家でもあったフランス人は何処へ消えてしまったか。1990年代、薄煕来がまだ大連市長だった時である。大連の目抜き通りのデザインとランドマークの設計を依頼されたデビレルは、頻繁に薄家に出入りを許された。
 
2000年に薄夫人の谷開来が英国に会社を設立したとき、パートナーはこのデビレルで、殺されたニール・ヘイウッドではなかった。ヨーロッパの古風な建築を中国風に取り入れ、新しいビルディングをあちこちに建築するコンサルティング企業だった。この企業の登録地が英国南東部の海岸にあり、瀟洒なヴィラの住所に会社登記もなされたが、二人の住所登録も同じだった。だが、この英国企業は謎に満ちたまま、三年で活動を止めた。
 
デルビルが父親とともに、2006年にルクセンブルグに登記した不動産会社(「D2プロジェクト社」)の北京の登記住所は谷開来のオフィスと同じだった。同社は数百万ドル以上の不動産を欧州各地に所有し、とくにこの時代、フランスの高級住宅が外国人投資家に売れた。一説に、この会社が薄ファミリーの不正資金のマネーロンダリングを幇助したトンネル企業ではないかと言われた。しかしデビレルの父親はこの噂を真っ向から否定した。
 
カンボジアの首都、プノンペンにフランス風の二階建ての住居をかまえて、デルビルは人目を避けるように道教の研究をしていた。カンボジアは旧フランス領、いまもフランス語が通じる。欧州、アメリカあるいは中国全土を探してもいないはずである。07年に欧米マスコミに谷開来との醜聞、もしくは艶聞を書き立てられてから、かれは忽然と姿を消していたのだ。かれの前妻は大連の女だった。結婚は数年も続かなかった。「かれはつねにロマンスを求める詩人だ」と友人は言った。
 
NYタイムズは、ようやくにしてデルビルの栖家を発見した(5月18日付け、ケイス・ブラッドシェール記者)。かれはプノンペン郊外に竹で編んだ素朴なコテージに住むことが多く、付近で値段を聞くと同じサイズのコテージが9000ドルで買える。彼はまるで老子のごとく質素に、そして道教の老師のような暮らしをしており、谷開来とのラブアフェーに関しては一切口を噤んだ。そして言った。「老子曰く、天網恢々疎にして漏らさず、と」。
 
まだまだ地下の闇からミステリーが登場するが、当該フランス人は数年前に中国を去っていたことがわかり、当局の捜査対象からもはずれたという」。

(引用止め)

▼フランス人は容疑の説明のないままにカンボジアが逮捕している

どっこい。捜査は続けられていた。
NYタイムズによって、フランス人の所在を知った中国の公安当局は、秘かにカンボジア政府に手を回した。

二週間前、デビレルはしずかに「いかなる容疑」かは告げられないままに逮捕された。
フランス政府も、自国民のこと故にカンボジア政府に問い合わせをしているが、容疑の詳細は不明。

明らかに中国の要請であることは、先週、賀国強(政治局常務委員、序列8位)がひそかにプノンペン入りしたが、その前日にフランス人が拘束されていることである。賀は、江沢民派だが、もともと薄とはそりが会わず、薄煕来事件の捜査を指揮している人物である。

かつてカンボジアはウィグルの政治亡命者ら20名を抱えていながらも、中国からの圧力に根負けして、人権擁護の声を無視し、北京に無慈悲にも引き渡した。その直後に習近平がカンボジアを訪問して、12億ドルの経済援助を約束した。

 
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