敵対したり同盟を結ぶ行為は上層部による政治だが、末端で触れ合う人間同士は同じ空間を共有する。そこには政治が入り込む余地のない極限状態もあり得る。だが、「助け合う」という行為は「同盟」が成し得たことだ。
日本人を母親に持つ女性が、暗闇の中でヘリコプターからロープを伝って降り立ち、「米国空軍です。助けに来ました」と叫ぶ。以来、被災地での救済活動に専念した。「気持ちまで伝わったのが何よりうれしかった」と現地の人たちは言う。
産経ニュース 2011.8.5 から転載
トモダチ作戦で橋渡し
アメリカ人女性通訳に被災地から感謝の声
東日本大震災の在日米軍の救援活動「オペレーション・トモダチ(トモダチ作戦)」で、震災直後から交通が寸断され孤立した地域や離島をヘリコプターで飛び回り、通訳として被災者に接してきた女性兵士がいた。日本語だけでなく「気持ちも伝わり、感謝してもしきれない」と被災地では今も感謝されている。女性兵士にお礼を伝えたいと、被災者らは6日、沖縄へ向かう。(大竹直樹)
「米国空軍です。助けに来ました」
震災から3日たった3月14日夜、孤立状態で支援の手が回っていなかった宮城県南三陸町の介護老人保健施設「ハイムメアーズ」の上空に、1機の空軍ヘリが飛来。真っ暗闇の中、空中でホバリングしたヘリから1人の女性兵士がロープをつたって降りると、日本語でこう声を張り上げた。
女性兵士の名は、米空軍嘉手納基地(沖縄県)第33救難中隊に所属するベロニカ・コックス兵長(23)。日本人の母親(51)と海軍に所属していた父親(46)とのハーフで、父親の当時の赴任先、フィリピンで生まれた。幼少期は神奈川県横須賀市など7年間を日本で過ごし、日本語は折り紙付き。通訳として白羽の矢が立った。
コックス兵長は「普段はヘリにも乗らないデスクワークの情報兵。降下の経験はなかった」と打ち明ける。だが、屋上に書かれた「200人SOS」の文字をみて、「目の前で助けを求めている人がいる。私の身がどうなるかなんて怖くなかった」とはにかんだ。
ハイムメアーズには当時、入所者や職員、近隣から避難してきた人計約200人が身を寄せ合っていた。支援の手がなかなか届かず、食料も底をつき始めていただけに、コックス兵長らが届けた水や食料、毛布などは貴重だった。事務長の高橋賢哉さん(51)は「自衛隊も来られない状況だったから、救われたと思った」と振り返る。
女性職員らからは「かっこいい!」という歓声も上がった。コックス兵長は「誰か人が来てくれただけでうれしかったのだろう」と照れるが、事務員の菅原嘉(か)倫(りん)さん(24)は「日本語が通じたときは、ほっとした。あの感動は今も忘れられない」という。
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コックス兵長はその後、4月4日までヘリで各地を飛び回り、被災者が求める生の声を集約。情報は米軍や自衛隊に提供され、迅速な支援に役立てられた。
宮城県気仙沼市の離島、大島で復旧に携わってきた市議、菅原博信さん(59)は「気持ちまで伝わったのが何よりうれしかった」と今も感謝する。米海兵隊の招きで6日、大島の小中学生20人らと沖縄を訪問。「できればコックスさんに会ってお礼をぜひ伝えたい」という。
宮城県石巻市の小学校で、足を骨折しても「私はまだいい」と搬送を遠慮する高齢男性の姿を見て「譲り合いの精神に感銘を受けた」というコックス兵長は「どれだけ橋渡しになれたかわからないが、どんなに小さくても、第二の故郷の日本のために協力できて本当によかった」と話している。