「奥飛騨慕情」などのヒット曲で知られる演歌歌手の竜鉄也(りゅう・てつや、本名田村鐵之助=たむら・てつのすけ)さんが28日午前11時15分、心不全のため高山市内の病院で死去した。74歳。

自宅は高山市西之一色町3の886。通夜は30日午後7時から、葬儀・告別式は31日午前10時からいずれも高山市総和町のセレモニーホール三礼で。喪主は妻田村美津枝(たむら・みつえ)さん。

◆「飛騨を全国区に」惜しむ声

竜さんは、奈良県生まれの高山育ち。幼いころ、はしかが原因で視力を失った。中学の途中から岐阜盲学校に進み、マッサージ師になった。歌好きで、独学で覚えたアコーディオンで市内の酒場を仲間2人と流し、自ら作詞・作曲した奥飛騨慕情を自主レコーディングしたが、売れなかった。

やがて演歌の女神がほほ笑んだ。郡上八幡で営業していた飲食店が火事になり、再建話をワイドショーで見た、八幡出身の出版会社社長の後押しで奥飛騨慕情を再プレス、1980年全国デビューし、ミリオンセラーを記録した。翌年には紅白歌合戦に出場。その後「紬の女」や「哀愁の高山」などがヒットし、美空ひばりさんには「裏町酒場」を贈った。約10年前、公演中にくも膜下出血で倒れ入院が続いていた。

「流し」仲間の星健二さん(74)=高山市名田町=は「10月に会ったのが最後。もう一度、一緒に歌いたかった」。米子偲さん(80)=同市三福寺町=は「アコーディオンの竜さん、ギターのけん兄と回ったころが懐かしい」と話す。

小中学校の同級生、垂井博美さん(74)=同市初田町=は「飛騨高山を全国に知らしめた功労者」と、國島芳明市長は「飛騨そして高山を全国にPRいただいたことに感謝を申し上げ、ご冥福をお祈りします」とコメントを寄せた。

岐阜新聞 2010年12月29日08:40から転載