明治4年に初めての交番ができた
日本の交番制度の歴史は1871(明治4)年。
フランス公使としてパリに滞在していた栗本鋤雲(じょうん)が、パリの警察官は外国人を親切に宿舎まで案内してくれるなどと、当地の“文明開化”した「ポリス」を紹介したり、福沢諭吉が欧米各国の警察制度を翻訳、紹介したことが、江戸時代の与力、同心の性格をそのまま引きずっていた当時の警察制度の改革を求める空気が盛りあがった。
このような空気を背景に、参議西郷隆盛が警察制度の改革を主張して、西洋ポリス制度の採用を政府に上申した。1870(明治3)年12月のことである。
それを受けて政府は、1871(明治4)年10月に羅卒らそつ(のちの巡査)3,000人を東京府中の取り締まり要員としておくことになる。そのときに設置された屯所が、現在の交番の前身である。
このように見ると、交番制度は西洋ポリスを真似たもののように見える。だが、実際には日本独特の制度である。
政府は、当時の空気を背景に西洋ポリスの制度を導入したのだが、取り入れたのは西洋ポリスの精神であって、組織形態は日本独自のものをつくり上げたのだ。
この日本独自の制度が今では世界に普及するようになった。「KOBAN」は英語にさえなっている。アメリカの一部やシンガポールではすでに早くから導入されているし、タイでは既設の400ヵ所に加えて、さらに300ヶ所を新設することになった。