大災害で多くの命が失われたあとに必ず問題視されるのが、「指導者」への批判だ。そのつど問題視されながらも改善は遅く、同様のことが繰り返される。そうした対応の遅れの背景には、戦後日本が独立を果たす際に仕掛けられた、戦勝国による政策が影響していた。またひとつ、刺激になる事実だ。

山村明義の神代のブログ 2014-08-25より

広島土砂災害とGHQの欠陥占領政策

50名の死者・38名の行方不明者を出している悲惨な広島の土砂災害に対して、当初から災害対策基本法が適用されることになったが、災害における「避難勧告の遅れ」や「リーダーシップのなさ」など日本の自然災害に対しても、GHQの占領政策が大きく影響していることをご存じだろうか。

今回のような土砂災害への避難勧告は、災害対策基本法に基づいて行われ、地方公共団体の市町村長が行うことになっている。マスコミではあまり触れられないが、大災害に対して未然防止を目的とする住民への避難勧告が遅れたのは、総理大臣ではなく、あくまで広島市長の権限であり、今回はその広島市自身が避難勧告への対応の遅れを認めていたという。

振り返ると、阪神淡路大震災の災害、旧社会党の村山富市総理大臣が遅れたと批判されたのは、社会党が拒否していた自衛隊法による災害救助であったことが有名だ。
ちなみにその未然防止を目的とする災害対策基本法が日本で出来上がったのが、昭和36年11月。一方、日本の災害対策救助法が出来上がったのが昭和22年10月のことである。
この違いは何なのか。実はGHQは、日本の災害対策には全く役に立たずだった。日本の自然災害の怖さを知らず、「日本の災害は事後的に救済をすれば良い」と考えていた。

一方、伝統的な日本人は、日本の自然災害を未然にどう防ぐかということに2000年以上知恵と工夫を凝らしてきた。地震しかり台風しかり今回のような集中豪雨しかりである。私が「GHQの日本洗脳」(光文社)に書いたように、占領当時、GHQは日本のあらゆる法律を指示し、事実上作成させた。しかし、この中には、台風や集中豪雨、東日本大震災のような地震災害をまったく想定していなかったのだ。彼らが日本に命じたのは、「災害は起きた後に生活を保護する救済」を行えば良いと考えていた歴とした証拠である「災害救助法」であり、地震関連、集中豪雨関連などの重要な法律を1本すら作らせなかったのである。
GHQは明らかに日本を弱体化させるために日本を占領し、戦争よりも長い6年7ヶ月の間、本当に日本を壊そうとしていた。日本で災害対策基本法が出来たのは、占領が終わって約10年後のこと。そして地震関連の法律は、何と平成5年の阪神淡路大震災が起きてからでしか作れなかった。

災害救助法が悪法だという説はこれまでにも何度か述べてきた。これは、災害の終わった後に、「支援金」などの名目で「救済」を行うことを主眼としているからだ。戦後日本人がきちんと自然災害に向かわなかったせいもあるが、そもそもGHQが自然災害への「未然防止対策を」まったく怠っていたのである。本来なら日本人が莫大な賠償を求めることもできようが、昭和27年のサンフランシスコ講和条約では、日本人が占領軍に刑事・民事含めたあらゆる補償を求めることを禁止していた。

自然災害で重要なのは、GHQがこよなく求めたキリスト教型の「救済」でなく、「未然防止」である。命を奪われてからお金を求めるよりも、その時に助かることが重要だからである。何度も繰り返される日本の自然災害での被害者の多さの原因には、「GHQが大きな原因を作った」と、後世の日本人たちに教え込まなければならないのだ。

 
 
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山村明義

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