眞悟の時事通信(平成25年7月3日号) より一部抜粋

中山恭子先生のこと

参議院議員 中山恭子

中山恭子先生は、大蔵省出身の財政と経済のエキスパートであり、官界における女性パイオニアである。
しかし単に優秀な官僚であるというだけではない。

十二年前
中央アジアでイスラム過激派に監禁され人質となった日本人鉱山技術者四名を含む七名の救出のために、過激派の本拠に乗り込んで銃を突きつけられるなかで頭目と直接交渉し、ついに七人を救出した駐ウズベキスタン特命全権大使は中山恭子先生であった。

その時の外務省の訓電は、キルギス政府に全ての交渉を委ねよ、であったが、中山大使は、その訓電通りすれば、人質の命は危ないと判断し、命をかけて身に寸鉄を帯びず自ら虎の穴に乗り込んだのだ。

私は中山先生に質問した
「キルギス政府に交渉を委ねよという外務省の訓電に従っておれば人質はどうなりましたか」
答え。「殺されてました」
さらに私の旭川の同志が中山先生に質問した。
「イスラム過激派との直接交渉が失敗したら先生はどうなったのですか」
答え。「私も殺されてました」

十年前の十月、
北朝鮮に拉致されて長年抑留されていた五名の被害者が帰国した。
五人を平壌に迎えに行ったのが中山先生であった。
その時、驚くべきことに外務省は、帰国できた五人を一週間から十日後には、北朝鮮に送り返すという約束をしていた。

我々拉致議連幹部は、外務省の五人を送り返すという方針に反対だと言った。外務省幹部は唇を振るわせて「国家間の約束だから送り返さねばなりません」と我々に言った。
その時、政府側から優しい声で一人の女性が言った。
「我が国は、国家として帰国した五人を北朝鮮に返さない。これでいいですね。」
振り向けば、これを言ったのが中山恭子先生だった。
そして、彼女は言うだけではなく、たった一人で頑として国民を守るという信念を貫き通し、五人は送り返されずに祖国に留まることができたのだ。この時の情景を私は忘れ得ない。

五人が日本に今も住んでいるのは、政府側に中山恭子先生がいたからだ
仮に、中山先生の頑張りがなければ、五人は北朝鮮に送り返され、「主席様のもとに戻れて幸せです」という日本向けの記者会見をさせられ、五人だけではなく他の数百名にのぼる全拉致被害者とともに永遠に祖国に戻れなかったであろう。

現在、我が国を取り巻く内外の情勢はきわめて厳しく、祖国を愛する心ある日本国民は、「強い日本」を構築しなければ、領土も国民も国家も守ることができないと認識し、それを実践する政治の建設を求めている。

我々は、この祖国の歴史的要請に応える人材を、選出しなければならない。従って私は、参加の同志と共に、中山恭子先生を堺に来ていただいて国政報告をさせていただいた。
重ねて、参加者各位に感謝し、より一層のご支援をお願い申し上げます。

私と共に国家の運命を背負う思いで、
中山恭子先生に、圧倒的な国民の支持が集まることが、
対外的に我が国の大きな抑止力になること、
同時に、我が国政界の真の再編を実現させることになると、
確信して、御奮闘いただかんことを!

 
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