国家ぐるみでもみ消そうとした水俣事件は57年の歳月をもっても未だ係争中だ。原因企業はチッソだが、問題を深刻化させた原因は、戦後復興に邁進した社会風潮だ。真犯人の姿は見えないが、被害者の苦しみを癒すのは裁判所ではなく、私たち一人ひとりによる強い社会風潮の形成だ。先人たちの努力の末に繁栄を甘受した私たちは、その恩に報いる気持ちで、「負の遺産」に目をそらさず向かい合っていかなければならない。

くまにちコム2013年04月30日 を転載

きょう公式確認から57年 水俣病犠牲者慰霊式

「公害の原点」と呼ばれる水俣病は5月1日、公式確認から57年を迎える。水俣市の水俣湾埋め立て地にある「慰霊の碑」前で同日午後1時半から、犠牲者慰霊式が営まれる。

公式確認は、チッソ付属病院の故細川一院長が水俣保健所に「原因不明の神経疾患が発生」と届け出た1956年5月1日とされる。認定患者数は熊本、鹿児島両県で2274人。このうち、3月末現在で1811人が亡くなっている。

1977年に旧環境庁環境保健部長が通知した水俣病の認定基準は、手足先の感覚障害と他の症状との組み合わせが基本要件。この基準の妥当性を争った訴訟で、16日の最高裁判決は「組み合わせがなくても総合的検討で認定する余地はある」として、水俣市の女性(故人)を感覚障害のみで水俣病と認めた。これを受け、被害者団体などから基準見直しを求める声が高まり、水俣病行政の在り方が問われている。

3年前の1日、認定基準を前提に創設された水俣病特別措置法の未認定患者救済策への申請受け付けが開始。国は昨年7月末で受け付けを締め切り、申請者は全国で6万5151人に上った。申請数が国の想定を大きく上回り、対象者の判定作業が続いている。

慰霊式は水俣市と、患者団体などでつくる実行委員会の主催。患者や遺族、石原伸晃環境相、蒲島郁夫知事、森田美智男チッソ社長らが出席し、「水俣病慰霊の碑」前で祈りの言葉を述べる。(辻尚宏)

 


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