「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成25年(2013)4月26日 通巻第3932号 を転載

もはや誰も制御できなくなった中国社会の混乱と騒擾
H7N9の大流行から新彊ウィグル自治区の暴動、雅安地震救援の大混乱

河南省三門峡市は洛陽の北、山西省との省境に拓ける中規模な都市である。三国志の合戦遺跡がある。

この三門峡市中級法院副院長(地方裁判所副裁判長にあたる)の賈九翔が突如死亡した。4月12日に賈は「査問」といわれて拘束、拘留され、十日後に「遺体」となって遺族に突如返還されてきた。

遺族の証言によれば、遺体はいたるところに青く腫れ上がって拷問のあとが凄まじく残っていたという。『京華時報』(4月24日)に拠れば、遺族が遺体の写真を撮ろうとして拒絶された。
賈九翔は上層部の犯罪に公平な判決を下そうとしたのか、謎があまりにも多い事件だが、ともかく裁判官でも共産党の上部から睨まれれば、命が脅かされる社会であることを象徴した事件となった。

先月来、大流行の兆しが云々されるH7N9(鳥インフルエンザの新型)は、当局の必死の否定にも関わらず死者が増加し続け、江蘇省、安徽省、浙江省、上海から北京に拡がり、台湾へも飛び火した。
マーケットでは卵の売れ行きが激減(というよりゼロに近く)、マックやケンタッキーの客も激減、あらゆる場所で悲鳴があがる。日本も中国産たまごで加工された食品が多く、スーパーでの消費動向に中国製への警戒感がでている。
これは03年のSARS騒ぎに匹敵する惨状に転化する可能性がある。

一方、新彊ウィグル自治区のカシュガル巴楚県で発生した漢族vsウィグル族の暴力的抗争は4月24日現在、死者21名という惨状、殴り殺された遺体は道路に投げ出されたままとなっていると多維新聞網がつたえた(4月25日)。

これを当局はイスラム過激派のテロといつものように宣伝しているが、ウィグルの反乱は治まる情勢になく、近く大規模な軍の投入があると囁かれている。
09年7月5日(いわゆる新彊ウィグル「7・5事件」)に発生した大暴動は、漢族がウィグル族を襲って虐殺、その犠牲は197名、負傷千名以上と言われた。
以後も小規模な対立はつづき、09年にはホータンで十数名の死者がでた騒擾もあった。

そして雅安の地震災害である。
4月24日現在、死者193名といわれるが、ビルの下敷きになった死者はまだ多い筈である。
五年前、四川省文川から広範囲に被災した地震では、軍の派遣が大幅に遅れたため、小学生の多くが犠牲になった。
軍隊がもっと早く救援にくれば、おそらく二万のおさない命は助かったと批判が集中した。あのとき温家宝首相はまっさきに被災地に飛んだが、軍を動員できる権限をもたず、軍はまた核施設の隠蔽作業を優先し、人民の救済をあとまわしにした。

こんかいの雅安地震では、軍の派遣こそ迅速に行われたが災害救援装備に不足しており、イルーシン76の大型輸送機も成都空港いがいに着陸できず、またヘリコプターは災害救援ではなく武装ヘリ、戦闘機仕様だからそれほどの役には立たないのだ。
四川省の各地の人民解放軍の部隊が現場へ駆けつけたが、道路が決壊していたりして、実際の救援活動は遅れた。例の「おからビル」(手抜き工事で耐震強度なし)は田舎、地方都市であった所為か、比較的少なかった。

李克強首相はすぐさま現場に飛んで指示を飛ばしたが、テレビ演出がおわるとそそくさと引き上げた。被災地でおかゆをすすっている場面は何回もニュースにでた。王洋副首相は現場への道が険しく、徒歩で駆けつけた。
軍は好機会とばかり、宣伝活動に多くを費消し、手抜きビル同様に救援活動は手抜きが多かった。

(註文川の「文」、王洋の「王」にいずれもさんずい)

 


 
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