原発事故以来、この時とばかり「反原発」を訴える人々の行動が活発になったが、エネルギーの供給を減らすことへの違和感からか、私はこの教訓をもとにさらに優れた原発建設を推進するべきだと考える。
だが、原発反対はなにも反核反戦を訴える者たちだけではなく、主権・国防の視点からの「反原発」もあり得る。原発に必要な資源や廃棄物の処分場がない日本が、核拡散防止体制のなかでIAEA(国際原子力機関)の厳重な監視下におかれていては、エネルギーの自立などあり得ないし、核武装も成し得ない。主権国家として「真の独立国家たり得ない日本」の継続を意味するという、藤井厳喜さんのご意見を紹介します。
こうした深い視点からの「反原発」はとても興味深く、「電力会社にとっては原発が桁外れに儲かるビジネスだった」という冷静な指摘が心に響く。
そのまま転載で長文ですが、ぜひご一読ください。
藤井厳喜official blog 2011,05,14
原発継続は即ち、日本の隷従化の継続である を転載
原発継続は即ち日本の隷従化の継続である
要旨:
現行の原子力発電の継続は、即ち、「真の独立国家たり得ない日本」の現状の継続を意味する。
日本国の真の独立を望む人々は、現行の原発体制の廃止を決断しなければならない。
原発と憲法9条は表裏一体である。
本文:
日本の愛国者のかなりの部分が、原発は日本のエネルギー自立に有効であると考え、原発推進にくみしているが、現実は全く逆である。
原子力発電は憲法9条と表裏一体の関係にある。
原発と憲法9条は、共に日本の真の独立を阻害し、第二次世界大戦後の戦勝国のみによる国際秩序に、日本国を隷属させるものである。
原発は日本のエネルギー自立に全く役立たないばかりではなく、むしろ逆に、政治的力関係においてすら、日本を既存の核大国による秩序に隷属せしめるものなのである。
原発の安全性の問題は今しばらく棚に上げて、国際政治面からこの事を考察したい。
現在の日本の原発体制は、米英仏露中の5大核兵器保有国(それはそのままに国連・安全保障理事会の常任理事国でもあるが)が構築している所の、核拡散防止体制に従属している。
そして核拡散防止体制なるものが、実は、5大国による核兵器独占体制である事は周知の事実である。
そしてこの5大国が、基本的には、第二次大戦の戦勝国である事も言うまでもない。
ソ連がロシアに変わり、中華民国は中華人民共和国(中共)にとって代わられたが、戦勝国連合の枠組みそのものは今も生きているのである。
国連 The United Nationsとは、そもそも第二次大戦の連合国The United Nations から発生した国際機関であることも確認しておこう。
インドやパキスタンの核武装で、5大国による核兵器独占体制は大分ゆらいできている。
しかしこの体制が未だに継続しており、実力を有しているのも確かである。
この体制は、核拡散防止条約(NPT)を中心に構築され、包括的核実験禁止条約(CTBT)によって補強され、国際原子力機関(IAEA)によって監視されている。
日本の原子力発電は、この「核拡散防止体制」に反抗する事によってではなく、この体制に完全に隷従する事によって成立している。
日本の原子力発電所や再処理施設においては、核分裂物質の管理は、IAEA(国際原子力機関)の厳重な監視下におかれている。
これは勿論、日本の核武装を防ぐ為である。日本は「絶対に核武装をしない」という前提条件を受け入れた上で、原子力発電を許されているのである。
特に、核武装に利用される恐れのある“再処理施設”に関しては、日本は核兵器を保有しない事を条件に、特別に“再処理施設”の運転を認められた国である。
日本は「核武装をしない」事を条件に、核拡散防止体制という国際秩序(International Regime インターナショナル・レジーム)の中で、原子力発電を許されているのである。
という事は、原子力発電と核武装は二者択一であり、二律背反であり、相いれないのである。
つまり、現行の体制で原子力発電を継続する限り、日本は核武装する事は絶対に出来ない。
そういう国際的な枠組みが既に出来てしまっている訳である。
言いかえれば、日本の原発推進論者とは、本人が意識するしないに関わらず、「日本は絶対に核武装しません。
その代わりに原発を許して下さい」と嘆願している哀れな存在である。
既存の国際的な枠組みを、唯々諾々として受け入れ、5大核大国に媚を売っている卑しむ可き存在である。
自覚せずに(原発がエネルギー自立に貢献すると誤解して)原発推進を主張する人々は、是非この機会に、目覚めてほしい。
もし自覚した上で原発推進を主張する者があれば、それは国の独立という最も大事な国益を売り渡す「売国」の輩と断じてさしつかえあるまい。
日本の電力業界や経産省の内部や周辺には、この手の売国の輩が少なからず存在する様である。
原発推進論者は核武装に反対してしばしば次の様に言う。
「核武装する為には核拡散防止条約から脱退しなければならない。
そうすれば、原発に必要なウラン燃料を海外から売ってもらえなくなる。そうすれば原発は動かない。」
これは尤もな意見である。(国内に蓄積したプルトニウムを原発燃料にするのでなければ)これは全く正しい。
という事は、原発を続ける限り、我々は核武装を自ら放棄しなければならないのであり、現にそうしているのである。
原発と憲法9条は、その根本から見て、全く表裏一体の存在である。
憲法9条の本質は、という事は現行“憲法”(内実は占領基本法)の本質は、という事にも繋がるのであるが、自らの安全を自らの手で確保する事を諦め、自らの命運を他国の手に委ねる所にある。
主体性の放棄である。
原発推進派の拠って立つ所も、全くこれと軌を一にする。
核武装という最も重要な自己防衛の手段を自ら放棄し、他国の手に自らの安全を委ねるのである。
そしてその代償として、原発という「銭儲け」には適しているが、エネルギー自立の為には屁の役にも立たない厄介なものを押しつけられるという訳である。
間尺に合わない、とは正にこの事である。
憲法9条的自己責任の放棄というメンタリティー(心的態度)の延長線上に、原発推進の論拠は存在している。
私はこの論考を、日本の核武装を真剣に考えている人達に向けて書いている。
核武装などという恐ろしい事は考えたくない、という人々は、この論考を読む資格も必要もない。
自国の安全を自らの手で確保しようと決意した者なら、核武装が避けて通れない事は自明の理である。
日本は周辺を核武装国家によって囲まれている。
そして東アジアには、チャイナと北朝鮮という最も危険な核保有国が存在する。
また、核兵器に対する抑止力が核兵器にしかない事は常識である。これらの現実を怯むことなく直視するならば、日本人の頭上に三発目の原発を落とす事を防ぐ最も確実な手段として、日本が核抑止力を持つ事を否定する事は出来ない。
アメリカの核の傘が存在しない事は、既に私の他の論文で述べたので参照して頂きたい。
単純に言えば、アメリカとロシア、そしてアメリカとチャイナの間には、「相互確証破壊」(MAD)の関係が成立してしまっているので、ロシアとチャイナに対しては、アメリカの日本への核の傘は存在していない。
アメリカのような強力な国家が友邦ないし同盟国であれば、一般的に言って、抑止力となる事は確かだが、厳密な意味では核の傘は存在しないのである。
北朝鮮のような第二撃能力がない国家に対しては、アメリカの日本防衛へのコミットメントさえ確かならば、アメリカの核の傘は存在する可能性がある。
しかし更に考えておかなければならない事態がある。
それは日米関係が激変する場合である。
アメリカがいつ迄、日本の友邦ないしは同盟国でいてくれるかは分からないという事だ。
こういった事態が到来すれば、日本は当然、独自の核を含む抑止力を持たねばならない。
しかし何も日米離反を前提とする必要はない。
米英関係、米仏関係、英仏関係を考慮するならば、独自の核戦力を持った国同士の間にも、成熟した民主国家間の友好関係は成立する事が可能である。
核武装した日本は、イギリスを範として、アメリカとの同盟関係を構築すべきである。
実際、2000年のアーミテージ・ナイ・レポートが日本側に呼びかけたのは、「米英関係を範として、今後の日米関係を構築しよう」という提案であった。
私がこの論考の筆を執った理由は、日本の保守派の中に存在する原発に関する迷妄を払拭したいと考えたからである。
「保守派は原発推進でなければならない」とする迷妄がそれである。
既に詳しく論証した如く、原発推進とは即ち核武装放棄という事であり、国防政策に於いても、またそれと不可分のエネルギー政策においても、自国の命運を他国の手に委ねるという事に他ならない。
一体全体、この主張の何処に保守主義があるというのか。
保守といってもよいし、愛国者といってもよいし、右派といってもよいし、国益派といってもよい。
言葉やレッテルにはこだわらない。
日本の伝統を大事に思い、その延長線上で国益を重視している全ての人々に一刻も早く覚醒してほしいのだ。
原発推進は、「独立国家日本」を否定し、日本国民の自由と安全を否定するものでしかない事を。
最後に原発とエネルギー自立と安全性の関係について述べようと思う。
この論考の初めに棚上げにしておいた論点である。
ポイントを要約して示す。
第一に、日本列島は地震列島であり、この列島の如何なる地点においても巨大地震が起こり得る。
この様な地理的条件下にある以上、日本列島上に安全な原発を造る事は、いかに最新の技術を駆使しようとも、原理的に不可能である。
そして、東海大地震や南海大地震は近未来において起きる事が確実視されている災害である。
第二に、原発や再処理施設が地震その他の原因によって大事故を起こした場合、その被害は日本のような島国にとっては、国家の存続すら危うくする。
福島第一原発事故では、半永久的な避難地域は半径20から30キロメートルの範囲内ですみそうであるが、これは事故が最悪のコースを辿らなかった為である。
第三に、原発は日本の電力の25%、第一次エネルギー全体の10数%を担っているに過ぎず、エネルギー自立とは程遠い。
しかも上記のような危険を伴うものであるから、費用対効果( Cost-Effectiveness )の点から言って、賢明な選択とは言い難い。
第四に、日本ではウラン鉱石は殆んど取れないので、原発推進はエネルギー自立とは程遠い。
第五に、それ故に、既に国内に30トン以上もあるプルトニウムを燃料とする原子力発電を実行するならば、それは原発をより一層危険なものにするだけである。
プルトニウムの燃料が、ウランのそれよりも格段に制御しにくい事は実証済みである。
第六に決定的な問題として、日本国内には、高濃度放射性廃棄物の処分場(保管場所)が存在しない。
それは日本列島が地震列島であるという第一の理由から必然的に導き出される結論である。
アメリカ政府は、高濃度放射性廃棄物は100万年責任をもって保管する必要があると宣言している。
100万年単位で見れば、過去、日本列島はそのかなりの部分が海面下であった時代もある。
日本には、ヨーロッパのように何億年も安定している強固な岩盤は存在しない。
日本列島はかなり若い、火山活動やプレート移動や地殻変動の育成物なのであり、残念ながら、この列島上に高濃度放射性廃棄物の安定した長期保管場所は存在しないのである。
以上の如き条件を鑑みれば、原発が日本のエネルギー自立に全く無益である事は、明々白々ではないだろうか。
エネルギー供給と食糧供給こそは、国家の独立の物質的基礎である。
その意味でエネルギー供給の自立(必ずしも自給自足を意味しない)は、国家の独立の為に極めて重要であるが、原子力発電はこの為には全く無益である。
たとえ日本が、核拡散防止体制を勇気をもって離れ、核武装を決行し、その上で原子力発電を実行しようとしても以上の6つの原発を巡る条件は変わらないのである。
百歩譲って、地震に対して安全な原発が出来たとしよう。
それでも、原材料(ウラン)も自給できず、廃棄物の処分場も国内にないのであるから、原発がエネルギー自立に全く役に立たない事に変わりはないのである。
日本の真の再生と自立を目指す人々は、今こそ“原発幻想”から目覚めなければならない。
それではなぜ、原発幻想はこれ程までに真面目な日本人を汚染してしまったのか?
この究明の為には新たな論考を必要とする。
今、確実に言える1つの事は、前後の真のコストさえ無視すれば、電力会社にとっては原発が桁外れに儲かるビジネスだった、という事である。
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