西村真悟の時事通信(平成 22 年 12 月 7 日号) を転載
コミンテルンは生きている
No.576 平成22年12月 7日(火)

中国共産党の独裁国家中共は、当然、共産主義を信奉する国家である。従って建前は、マルクス、レーニン、毛沢東主義を掲げている。

そこで、中国共産党の幹部連中であるが、彼らにとって、二十世紀前半から断絶することなく続いている「共産主義運動」の方式とは何か。また、彼ら共産主義者から見て、我が国の民主党と菅内閣は如何に映っているのか。これらのことに思いを巡らせているとき、浮かんだ言葉は、コミンテルンであった。

思えば、ソビエトが崩壊して中共が改革開放路線に転換して、守銭奴のようになっているので、過去の概念だと思いがちであるが、中共は、建前では、依然として共産主義を標榜しているのである。そして、彼らが権力を握った方式は、国際共産主義運動の指令に基づく方式であった。この国際共産主義運動がコミンテルンである。

他方、菅内閣の、菅、仙石とは何か。これらも、コミンテルンの影響下に学生生活を送った、正真正銘の左翼である。
ここから、中国共産党幹部が、菅内閣を如何に位置づけているのかが分かる。つまり、中共の連中は、菅、仙石をコミンテルンの手下と見ているのだ。これが、九月以来明らかになった中共幹部の我が国に対する傲慢な態度を生み出した。

今日は、このコミンテルンについて短文ながら書いておきたい。
日常忘れているが、コミンテルンはつい最近まで我が国をも突き動かしていた共産主義運動である。そして、気がつけば、この運動のなかで育った左翼が、我が国の政権にありついている。まさに、コミンテルンの運動方式が、我が国で成功しているのだ。

思い返せば、私が大学に入学したのは、昭和四十三年だった。その時既に大学紛争に火がついており、大学は左翼一色だった。入学式当日には、全入学生に「マルクスの資本論」の共同購入申し込み用紙が配られた。
学生は、すぐその色に染まって、「紅萌ゆる」という第三高等学校寮歌を歌うよりも、「インターナショナル」を歌うようになった。私などは、校庭で「軍歌」を、「あー、あー、大君に召されたるー」と歌っていて笑われた。
この雰囲気のなかで、コミンテルンという言葉と運動は、日本の革命を目指す指針として語られていたのだ。菅、仙石は、その時この雰囲気に生きて数年を経ていた。

さて、コミンテルンは、第二インターナショナル解体後の一九一九年三月、モスクワで結成され、一九三五年まで第七回の大会を行った。別名、第三インターナショナル、共産主義インターナショナルともいう国際的共産主義運動である。
何故、前進の第二インターナショナルが解体されたのか。その理由は、第二インターが、第一次世界大戦において各々の母国を支持したからである。従って、この経験を経たコミンテルンの運動方針には、国家の解体が強調されている。

コミンテルンの運動方針は次の通りである。
「世界のブルジョアジーを打倒するために、さらに、国家の完全な廃止に向けての過渡的段階としての国際的ソビエト共和国の建設のために、軍事力を含むあらゆる可能な手段によって戦う」
現在は、この方針のなかの「国際的ソビエト共和国」のところを「中華人民共和国」に入れ替えればよい。ソビエト崩壊後は、中共がこの運動の承継者だからである。
つまり、現在は、各国の共産主義者は、「国際的中華人民共和国」建設のために戦うべし、というのがコミンテルンの方針となる。

このコミンテルンは、昭和に入って、第六回と七回の大会で、「共産主義者は各々の自国を戦争で敗北させること、敗戦から内戦を起し、内戦から革命に移行せよ」と指令し、次に、「共産主義者は身分を隠してブルジョア組織のなかに潜入し、統一戦線(フロント)を結成せよ」と指令する。
中国共産党と毛沢東は、このコミンテルンの指令通りの謀略を展開して権力を握った。即ち、内戦から国共合作、抗日民族統一戦線、また内戦そして革命成功というプロセスである。
そこで、注目すべきは、このコミンテルンの全ては中華人民共和国建設のためにというスローガンと、中国が世界の中心だという伝統的中華思想は見事に一致するということである。
これが、中共の、他国の国境を平気で無視し何でもできると思いこんだ傲慢な態度の原因である。

今度は、我が国の民主党と菅内閣に目を転じよう。まず鳩山由紀夫という御仁の言動。
「国民というより市民といいたい」、「日本は日本人だけのものではない」、「東アジア共同体」・・・これらは全て、日本の国家の枠組みを取り除こうとする言動である。

菅氏は、いわずと知れた「市民運動家」で、仙石氏は「地球市民」を目指している。
では、この彼ら三名が期せずして強調する「市民」とは何か。それは、「国民」に対立する概念である。つまり、彼らは、国民と国家を否定するために「市民」という言葉を多用しているのだ。従って、彼らには、「国民」が無いのであるから、外国人が我が国の参政権を行使するのは当然のこととなる。さらに、「国家」を護る軍隊また自衛隊は、有害な暴力装置ということになる。

ここにおいて、「国家の完全な廃止に向けて」というコミンテルンのテーゼを思い起こせば、彼ら三人の言っていることは、国家否定のコミンテルン指令そのものではないか。また、民主党のいう「ポストモダン」とは、何も新しいものではなく、コミンテルンの「国家の完全な廃止」を指向するものである。

次に、コミンテルンの「共産主義者は身分を隠してブルジョア組織のなかに潜入せよ」という指令に着目したい。
鳩、菅また仙石は、各々民主党という身分を隠すための徒党に入ってから、共産主義者から見ればブルジョア組織そのものの日本国政府のなかに潜入し、今や総理と官房長官としてそのヘゲモニーを握ることに成功している。
そして、我が国の防衛予算を削減し、基地移転問題で日米の信頼関係をずたずたにし、盛んに官僚批判を続けて我が国の統治機構を弱体化させ、外国人参政権を推進して内政干渉を合法化し、北朝鮮労働党の日本国内の宣伝洗脳機関に税金を与え、悪質な中国船長を釈放して我が国の法秩序を無視して中共に屈服し、夫婦別姓を推進して我が国の伝統的な家族のあり方を解体させようとしている。

菅そして仙石両氏は、ここにおいても、コミンテルン指令を忠実に実施している共産主義者、コミンテルンの本家である中国共産党から見れば、忠実な手下そのものであると言える。

さらに、菅氏が特に気に入っている千葉景子という人物の思考回路に触れたい。

この者は、法務大臣の時、死刑には反対だが、死刑を見ておく必要があると勝手に思いこんで二人の死刑を執行させた。これは、共産党独裁国家で今も続く見せしめのための「公開処刑」の発想である。
死刑を執行された二人の囚人は、死によって罪を償うためではなく、この千葉という人物に自分が殺されるところを公開させるために殺されたのである。何と哀れか、可哀想ではないか。これが、法治国家なのか。

これは、死刑執行という法治国家の形式を借りた殺人の公開ではないか。そして、このことを平然と実行し、「人が殺されるところを見学した」千葉景子という人物の思考回路こそ、ブルジョア組織のなかに潜入してブルジョア組織を破壊する左翼コミンテルンの典型だと指摘しておきたい。

以上の通り、コミンテルンの指令は、現在の鳩山そして菅内閣によって我が国で実現されている。
従って、この民主党内閣はコミンテルンの指令の下にあり、必然的にコミンテルンの本家である中国共産党に吸収されていく。 ということは、日本国民は、民主党内閣が続く限り、中共の我が国に対する無礼な脅迫と恫喝を受けねばならないということである。そして、この事態に至った病根は深く、それは、二〇世紀の世界に惨害を及ぼした国際共産主義運動に源がある。
共産主義、コミンテルンと戦う必要があったのは、二〇世紀だけではない。今も我が国は、コミンテルンと共産主義者に歴史観を奪われたままである。

従って、菅内閣をはじめとする二〇世紀から持ち越されたコミンテルンの残滓を一掃するための、我が国の国体を護る徹底的な戦いを今こそ始めねばならない。(了)

資料:
西村真悟の時事通信