西村真悟の時事通信(平成 22 年 11 月 12 日号)No.566 
平成22年11月12日(金) を転載

台湾南部の高雄と竹田と潮州

11月6日の東京での集会とデモ、7日の地元堺泉ヶ丘における時局講演において、心情と本音をお伝えさせていただき、翌8日の朝から11日の夜まで、台湾の南部、高雄と潮州および最南端のギャランピーまで訪問してきた。

戦前から情報分野で活動されてこられた門脇秀朝さんは、今年97歳になられるが、お嬢さんの付き添いを得て11月2日に台北に入り時計回りに台湾の東海岸を花蓮、台東と廻り八日には潮州に入られた。
私は、八日の朝大阪を発ち夕刻潮州で門脇さんに合流した。門脇さん一行は、潮州までは山岳部の台湾原住民の地を主に廻られてきた。

私の合流した潮州からは完全な日本語を日常使っている人々との意見交換と意気投合と会食の三日間だった。ここは、北部の台北とは全く違う台湾であった。彼らの立ち居振る舞いは、昔の日本人そのものであった。
そして、これ全て門脇さんの国を超えた地下水のような人脈の御陰である。まことに門脇さんの人脈は貴重である。国と国との関係もこの人脈が成り立たせる。

高雄での昼食の場として招いてくれた店の本来は店の名を掲げる大きな表看板そして玄関前の柱には、びっくりするようなスローガンが大書されていた。まず玄関の上の表看板には「報告 蒋総統 馬英九造反了」、玄関の左右の柱には、「拒絶招待中国人」と「公平審判陳水篇」が大書されていた。これは、「蒋介石総統に報告する。馬英九(現総統)は裏切った」、「中国人は招待しない」、「陳水篇(前総統)に公平な裁判を」という意味である。
店主からもらった名刺にも「拒絶招待中国人及台奸」とあった。これは、中国人と台湾を裏切る台湾人(台奸)は店にはいるなという意味。また、帰るときに、Tシャツをもらったが、その胸のところには「馬上通匪売台」と書いてあった(馬の字は上下逆さま)。これは、馬総統は中共と通じて台湾を売るという意味である。

このような店、台北にあるはずがない。昼食を共にした10名ほどの人々は、皆身内を2・28の白色テロで蒋介石に殺された方ばかりであった。この痛々しい体験が生々しく残る高雄では、「もし、中共が台湾を飲み込んだら、この店主は共産党に殺される。それを覚悟で店のスローガンを書いている」という説明は現実味を帯びている。
この店は次の場所にある。料理は大変おいしい。高雄に行かれたらこの店に立ち寄られたし。表の看板ですぐ分かる。
「紅?瓦客家小館」 高雄市三民區大連街238號 TEL3233315

さて、高雄そして近くの竹田に来て日本に来たような気がしたのであるが、果たして今会って日本語で話し合っている人々は日本人ではないのだろうか。もし彼らが「日本国籍確認の訴え」を起こしたならば、日本国籍が確認されるのではないか。
我が国は、サンフランシスコ講和条約第二条で次のことを宣言した。
「Japan renounces all right,title and claim to Forumosa and Pescadores.」
即ち、我が国は、台湾に対する「主権」(sovereignty)を放棄するとは言わず、「処分権」、「占用権」、「宣言権」を放棄しただけである。また、台湾は我が国の領土であって植民地ではない。テキサスがアメリカ合衆国の領土であって植民地ではないのと同じである。
従って、我が国は第二条で放棄したもの以外の「残存主権」を未だに台湾に有している。また、我が国が第二条の放棄をしたからといって台湾における日本人がその国籍を失うことにはならないことは当然である。従って、蒋介石が二.二八事件以来の白色テロで殺したのは、「日本人」だったということになる。

以上の思いをもって指摘したいのは、10月31日の産経新聞朝刊に載った「日台分断を防ぐには」という台北支局長の山本勲さんの記事である。まことに時期を得た適切で示唆に富む記事である。ここには、尖閣諸島周辺海域における漁業権に関して配慮すべきことが書かれていた。尖閣に関して、我が国政治家が歴史を背景に構想を練るならば、日台が中共に分断されるどころか、我が国が中共を台湾から遮断することができる。

私は、高雄そして隣の竹田において、次のように述べた。
「尖閣諸島とその周辺海域は、日本人が開拓した日本人の島であり海域である。その日本人のなかには台湾の人々も入る」
以上、時間の制約で本日は短文にて。(了)

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この店を紹介したブログ

  • 紅?瓦 客家小館
  • 「共匪登陸了!」~中国人の来店お断り:愛台湾的客家餐廳
  • Youtubeにて