沖縄県名護市辺野古とキャンプ・シュワブのボーリング交流は約20年続いており、シュワブは1999年に辺野古区から正式に「辺野古区第11班」としての班旗を献上され、公私共に辺野古区の住民として認識されています。
ハンセンヘイワを旗印に無法化している辺野古周辺の基地移設反対運動は、実は辺野古住民ではありません。沖縄出身者を多く見かけるものの、その組織運営に関わる者たちのほとんどは本土から来た活動家だ。
在日米海兵隊 facebookより転載
キャンプ・シュワブと近隣地域の長年に渡る友好な関係
【米海兵隊キャンプ・シュワブ】窓の外は冬の冷たい雨と強い風で寒さが一層増していますが、部屋の中では笑い声と歓声で熱気に包まれています。ここは沖縄県名護市辺野古にあるキャンプ・シュワブのボーリング場で、シュワブ近隣の地域リーダーとキャンプ・シュワブのリーダーたちが一堂に集まり、ボーリングを通して親交を深めています。辺野古区とキャンプ・シュワブのボーリング外交は約20年続いており、今年から豊原区と久志区も参加しています。
冒頭のあいさつで、シュワブ・リーダーの一人が、「去年は運良くシュワブがチーム戦を制して、(古いボーリングのピンでできた)優勝トロフィーを持ち帰りましたが、今年は辺野古のみなさんが取り返すよう頑張ってください」とエールを送りました。
キャンプ・シュワブ基地司令官のデイビッド・オドム大佐は、「今夜は辺野古、豊原、久志の区長さんたちを招いて、親善ボーリングで勝敗を決め、一年間、私たちの友好の証でもあるボーリングピンを持ち帰ることができます。個人的には、シュワブに着任して19ヶ月間、地元の方たちとの交流を楽しんでいます。地元と親交を重ねるこで、より絆が深まります」と地元との交流の重要さを強調しています。
そんな中、日米友好親善ボーリング大会は、8つのレーンを使用して始まりました。
日米お互いがお互いに声援を送り、ストライクやスペアを取ると、あちこちでハイタッチや拍手が起こります。
結果的には約40ピン差で、今年もシュワブ・チームが勝利を収め、ボーリングピンを持ち帰ることになりました。
嘉陽宗克辺野古区長によると、「交流による相互理解や信頼により、事故や事件を未然に防ぐことができるので、親睦を図ることは大切です」と確信に満ちた顔で説明しています。
宮里武継久志区長も、「友人が友人に悪さをすることは無いので、交流を通して親交を育むのはいいことだ」と述べています。
楽しかったひと時も、あっという間に時間が過ぎ、それぞれが笑顔のまま確かなる友好関係を感じながら、寒い冬の雨空の下、家路へ急ぎました。
余談ですが、キャンプ・シュワブは1999年に辺野古区から正式に「辺野古区第11班」としての班旗を献上され、公私共に辺野古区の住民として認識されています。嘉陽区長は班旗について、「シュワブに班旗がある事で、彼らも地元の一員としての自覚を持つので、班旗は双方にとって重要な意味を持つ」と説明しています。
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