新潮社ニュースマガジンから転載

中国の「善意の攻勢」に台湾はどう応えるか
ジャーナリスト野嶋剛

この夏、台湾を1週間ほど旅行した。今年4月に朝日新聞の台北特派員の任期を終えて帰国してからほぼ半年。何らかの変化が、特派員時代に見落としていたことがあるだろうか。そんな気分でぶらぶらと各地を回った。

とにかく中国人観光客が目につく
観光地では中国人6割対日本人を含む外国人4割という感覚だ。中国人に人気がある故宮博物院のロビーなど中国人だらけ、と言ってもいい。いま、日本では中国人観光客への期待がにわかに高まっているが、台湾では一足先に、「中国人観光客からお金を稼ぐ」というテーマが実践されているのである。

この中国人観光客の人波は、2年前の2008年夏まではまったく存在しなかった。同年5月に誕生した国民党・馬英九政権によって、中台関係が大幅に改善した結果、「果実」として台湾にもたらされたものである。

両岸経済協力協定の政治的意義
この2年間というもの、中国との歩み寄りを示した台湾に対し、観光客を含め、中国はありとあらゆる「善意」で応えてきた。

「台湾人民にとって有利であれば、我々はいかなることでも取り組みたい」(胡錦濤国家主席)「台湾にはうまい話を譲りたい」(温家宝首相)。台湾に向けられた中国の指導者たちのせりふは、とろけるほど甘い。いまが台湾統一の前進に向けた千載一遇のチャンスだと、中国指導部がとらえているからである。

最新の動きでは、中国と台湾はこの夏、将来、東アジアの戦後史に記されてもおかしくない重要な協定に署名した。

両岸(中台)経済協力協定。英語では「Economic Cooperation Framework Agreement」。その頭文字を取ってECFAと呼ばれる。

9月中には発効し、来年1月からは輸入関税の引き下げが始まる。ECFAの中には「両岸」「中台」などの名称が入っていない。署名した後も正式名称が未確定という、いささか奇妙な協定である。

ECFAは関税引き下げや投資・金融取り決めを主体とする自由貿易協定(FTA)であり、基本的には経済問題なのだが、その重要性はむしろ政治的な意義にある。

第1にECFAは国共内戦による国民党の台湾撤退と中台分断が起きた1949年以来、敵対状態にあった中台で最初に結ばれた本格的な協定である。中台間は基本的に「我こそは台湾を含めた全中国の支配者である」という前提に立っているので、お互いに相手の主権を認めていない。そのため外交の世界では中国と国交を結んだ国と台湾が断交し、台湾と国交を結んだ国とは中国は外交関係を切ってしまうゼロサムゲームを展開してきた。ECFAの正式名称が決まらないのも、お互いの「国名」を確定させる術がないからである。

そんな中台が、とりあえずは拘束力のある協定を結んだのだから、一大事である。