【日経BPネット連載・花岡信昭の「我々の国家はどこに向かっているのか」11月5日更新】を転載
まさかのメドベージェフ大統領国後島訪問
ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土の国後島を訪問したのには驚いた。そういう情報は出てはいたが、まさか実際にやってのけるとは思わなかった。
これは日ロ関係において、歴史に残る一大事だ。向こうは「国内訪問だ」と言っている。これを見逃したら、いよいよロシアが北方領土を実効支配していることが「認知」されてしまう。
「外交は内政の延長」といわれるが、その通りであることもよく分かった。2年後の大統領選を控えて、領土保全に万全の意欲を持つ「強い大統領」を演出する必要があり、国後島訪問はその思惑にぴたりとはまったようだ。
だが、そういう向こう様の事情をこちらが斟酌(しんしゃく)してやる必要はさらさらない。ここは思い切り「報復措置」に出なければ、日本は主権を守る独立国家とはいえなくなってしまう。
ロシア駐在の日本大使を一時帰国させるぐらいの措置でいいのかどうか。一時帰国して、これが長期にわたれば「大使召還」に近いかたちとなるから、多少の効果は出るかもしれない。
一時帰国後、いったいいつ戻すのか、その判断が菅政権としては非常に難しいことになる。
ロシア側に強いメッセージを送れ
日本は一貫して北方領土は日本固有の領土であり、4島一括返還を求めてきた。ソ連時代も含め、向こうの大統領は領土問題の存在を認めてきた。
だから、東京宣言だの川奈提案だのといった(正直言うとどこまで効果があるのかわからないものの領土問題が継続しているということを証明するには格好の)折衝が展開されてきたのである。
ロシア大統領がこれまで、4島に足を踏み入れなかったのもそのためだ。
それをいきなり国後島訪問ときたわけだから、これまでの長い積み重ねが一挙に吹き飛んでしまったことになる。
ここは、ロシア側にそういう理不尽なことをやると、いかに国家としてマイナスになるか、国際社会での信頼失墜につながるか、ということをとことん分からせてやらなければいけない。
さあ、民主党・菅政権にそれができるか。最もいい方法は、横浜で開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)へのロシア代表団の入国禁止だ。成田か羽田か知らないが、やってきても飛行機の中に閉じ込めて、そのまま帰国させてはどうか。
そのぐらいのことをやってもいいほどの重要な事態である。そうでないと、日本が本格的に不快感を持ち、怒っているという態度を示すことはできない。菅首相が「遺憾の意」を表明する程度ではだめだ。
国家観、国家意識が希薄な民主党政権の弱点があらわに
それにしても、モスクワの日本大使館は何をしていたのか。国後島訪問がいかに日ロ関係を決定的に悪化させることになるか、先方にどこまで分からせる努力をしたのか。
どうやら、国後島訪問はあり得ないと読んでいたようで、日本がもっとも不得手としているインテリジェンス(情報収集)能力の欠落をもさらけ出すことになった。担当者は頭を刈るぐらいでは済むまい。
衆院総選挙で歴史的圧勝を果たしたのだから、政権交代が起きたのは許容しなくてはならないが、当初、懸念されたように、民主党政権の最大のアキレス腱がいよいよ明白になってしまった。
要は、国家観、国家意識が希薄なものだから、国家にとって最も重要な責務である外交・安全保障に向かう姿勢がいかにもおぼつかないのだ。
もうひとつ言えば、勘違いの「政治主導」がこれに輪をかけた。政治主導は結構だが、官僚排除とは違う。こと外交問題となれば、もっとも熟知しているのは外務官僚だ。
菅首相は「官邸に情報が上がってこない」と嘆いたそうだが、当たり前である。官僚との役割分担、関係正常化を進めて、官僚側があらゆる情報を踏まえて考えられる選択肢をすべて提示してくるという状況をつくらないといけない。
外交での失策は、内政と異なりリカバーが難しい
誤解をおそれずに言ってしまえば、「子ども手当」だの「消費税」だのといった内政課題で失敗するのであれば、まだましだ。
だが、外交・安保政策の基幹部分での失態は国際社会での日本の地位、権威といったものを一挙に損ねることになる。
ロシア大統領の国後島訪問によって、国際社会では北方領土をロシアが実効支配していることが完璧に明瞭になってしまった。これを元に戻すのはなんとも困難だ。
考えてみると、鳩山由紀夫前首相が米軍普天間基地の移設問題で「県外・国外移設」もあり得るかのような発言をしてしまったことから、民主党政権の「外交崩壊」が始まった。
これによって、日米関係は一気にガタガタになった。鳩山氏には、外務省、防衛省がこの問題について、徹底してレクチャーしていたはずなのだが、おかしな「外交半可通」がいて、その無責任な提案につい乗ってしまったらしい。
鳩山氏はかねてから言われていたように、一番最近に聞かされた話を信用し、それを口に出してしまうというクセがあるようだ。
「綸言(りんげん)汗のごとし」とはよく言ったもので、とりわけ高位にある人物がいったん口にした話は引っ込みがつかなくなる。
いまさら言っても始まらないのだろうが、鳩山氏は普天間問題について、「自民党政権時代にアメリカとの間で辺野古移設を決めてしまった。当方の本意ではないが、国家間の取り決めなので、国際的信義からいっても、ここは従わざるを得ない。だから、なんとかこらえてほしい」くらいのことを言っておけば、乗り切れたはずだ。
中国のしたたかさを見習え
普天間問題が泥沼化して日米関係がぎくしゃくしたのを、一番喜んだのは中国だろう。このタイミングを逃さず、「尖閣」問題を起こした。一方で中ロ関係はやたら良好になっており、そういう状況を踏まえてメドベージェフ大統領は国後島訪問に踏み切った。
中国はかつて、北方領土問題について、日本の立場を尊重していた時期もあったのだが、こうなれば、もう知らん顔だ。
最近のできごとはすべて連関していると見た方がいい。相手が窮地に追い込まれていると見るや、傷口に塩をなすり込むがごとく、最も嫌がることをやってのける。これが、国益を踏まえた外交のイロハである。
日本もそのしたたかさ、たくましさを、遅きに失したとはいえ、学ぶべきだ。中国外務省の報道官のあの堂々とした、嫌味たっぷりのコメントは瞬時にして世界中に流れる。一方で、申し訳ないが仙谷由人官房長官のぼそぼそとしたものの言い方では、相手に対する威嚇にも恫喝にもならない。
だいたいが、中国の首相と「廊下の隅で会えた」ことで大喜びしているようでは、外交にはならない。そういう失敬な振る舞いは認められないと突き放すのが一番いい。
APECで日中、日ロの首脳会談が行われた場合、菅首相は断じて笑顔を見せてはいけない。こちらに一切の非はないという態度で臨む必要がある。会談の冒頭から、一連のできごとについて、徹底して抗議し、非難することが肝要だ。
それをやってはじめて相手が折れてくる。無理難題を日本側だけが必死にこらえているといった構図から脱却することだ。
東アジアの「兄貴格」としての威厳を取り戻せ
中国で起きた反日デモで日本側に相当の被害が出たが、その被害一覧リストをまず示して賠償請求するぐらいのことをやってみてはどうか。
ロシアに対しては、日本側の資金で整備されたインフラ施設の一覧表を見せ、すべて撤収すると言明すればいい。
アジア諸国は、中国にもロシアにもいいようにあしらわれている日本に対し、いよいよ幻滅しているのではないか。本来は、強固な日米同盟関係が存在し、巨大中国の軍事膨張路線への歯止めになってくれることを日本に期待しているはずだ。
それを普天間程度の問題で(と、あえて言う)、日米関係が戦後最悪とまでいわれるようになってしまったのでは、東アジアの「兄貴格」としての日本の立場は音を立てて崩れ去っているというのが実態ではないか。
さらに言えば、日米を軸に、韓国、台湾、あるいはシンガポールなども含め、価値観を共有するもの同士の連携が強固になれば、中国への防波堤としては申し分ないことになる。