沖縄戦で陸軍特攻隊の先陣を切って出撃し、米軍空母に体当たり攻撃を敢行した、石垣市出身の伊舍堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐と隊員の顕彰碑が建立され、終戦の日である8月15日、除幕式が行われた。
この日の悪天候にもかかわらず、隊員の遺族をはじめ県内外から多くの参列者が集まった。
顕彰碑正面には
伊舎堂中佐の写真と共に
大日本帝国陸軍
第八飛行師団誠第十七飛行隊
伊舎堂用久中佐と
隊員の顕彰碑
と書かれている。
今年4月18日に顕彰碑建立期成会(三木巌会長)が発足し、この日の建立を目指して募金活動をしていたところ、目標額の300万円を大きく上回る500万円の募金が寄せられた。他府県からの寄付も多く、戦後教育の中で忘れ去られてきた先人たちを再評価する機運の高さがうかがえる。
顕彰碑背面に記された碑文
大東亜戦争終結六十八年を経たわが国は、戦後の荒廃を乗り越え、平和で豊かな生活を送ることが出来ています。現代のわが国の平和と繁栄は、国家存亡の危機に殉じた英霊と戦争の犠牲となった多くの方々の礎によってもたらされたことを心に留め、その史実を後世に伝えていかなければなりません。大東亜戦争末期、戦況の打開を図るべく、大日本帝国陸軍は特別攻撃隊を編成し石垣島にあった特別攻撃隊の基地からも、鎮護の任に当たるべく、若者達が身命を擲って出撃し、千尋の海に散華しました。
大日本帝国陸軍第八飛行士団誠第十七飛行隊隊長であった石垣島出身の伊舎堂用久大尉率いる伊舎堂隊四機と直掩機六機は、昭和二十年三月二十六日午前四時に、石垣島白保にあった基地より陸軍特別攻撃隊の先陣を切って出撃し、慶良間列島西方海上の敵空母軍に特攻を行い、その戦果は全国に大々的に報じられました。
郷土と国を愛し、悠久の大儀に生きる精神により散華した伊舎堂用久中佐(特別攻撃後、二階級特進)と隊員の遺功を後世に伝え、これからの時代に於いても、郷土と国を護る崇高な精神を育み、恒久平和を希求する為、伊舎堂用久中佐と隊員の顕彰碑をここに建立します。
平成二十五年八月十五日遺詠 伊舎堂用久 中佐
指折りつ 待ちに待ちたる 機ぞ来る
千尋の海に 散るぞ たのしき
石垣島から出撃した特攻隊員 |
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誠第十七飛行隊 | |
伊舎堂用久 中佐(24・沖縄) | 川瀬 嘉紀 大尉(24・三重) |
芝崎 茂 大尉(24・埼玉) | 黒田 釋 少尉(21・愛媛) |
安原 正文 大尉(24・高知) | 久保 源次郎 大尉(23・千葉) |
有馬 達郎 少尉(17・鹿児島) | 林 至寛 少尉(17・東京) |
独立飛行第二十三中隊 | |
阿部 久作 大尉(29・北海道) | 須賀 義榮 少尉(23・千葉) |
長野 光宏 少尉(21・東京) | 金井 勇 少尉(21・富山) |
岩本 光守 少尉(20・福岡又は朝鮮) | 廣瀬 秀夫 少尉(19・香川) |
飛行第十七戦隊 | |
平井 俊光 少佐(21・岡山) | 児子 国高 大尉(21・岡山) |
西尾 卓三 大尉(25・東京) | 国谷 弘潤 大尉(21・富山) |
勝又 敬 大尉(24・愛知) | 照崎 善久 少尉(21・大阪) |
西川 福治 少尉(21・兵庫) | |
飛行第一〇五戦隊 | |
長谷川 斎 大尉(23・愛知) | 山元 正巳 少尉(19・鹿児島) |
永田 一雄 少尉(20・鹿児島) | 石田 勝 少尉(20・岐阜) |
小川 多透 少尉(20・福岡) | 丸林 仙治 少尉(19・岡山) |
内藤 善次 少佐(22・東京) | |
飛行第十九戦隊 | |
根本 敏雄 大尉(22・千葉) | 倉澤 和孝 大尉(22・長野) |
栗田 常雄 少尉(22・静岡) | |
計三十一名 |
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伊舍堂用久中佐と隊員の顕彰碑建立期成会
会長 三木 巖
期成会事務局
〒907-0004 沖縄県石垣市字登野城1
電話(0980)82-3151/fax(0980)82-2171
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